◇路地裏の亡霊:解答編

「ズバリ――犯人は犬だよ、お兄ちゃん」

「はぁ? 犬……?」

 ビシッと人差し指を突き立てて宣言するカズラ。

 俺はどうして『路地裏の亡霊』の正体が犬なのか理解出来ずに、鳩が豆鉄砲を食ったような呆け面で思わず聞き返してしまう。

「そうだよ。カズラの推理が正しければ、ね」

 えっへん、とカズラは得意満面に、曲線美とは無縁のなだらかな胸を張って答える。

「でもな、現場には犬の一匹もいなかったって言うじゃねぇか」

 これはどの目撃談に共通していたことだ。
 飛燕の話だけなら勘違いの線も考えられたが、nixiに書き込まれた目撃談にも、犬や猫などが現場に居たという情報はなかった。

 もし現場に犬が居たとしても、全員が見落としているとは考えがたいだろう。

「そうだね。確かに〝路地裏には〟いなかったと思うよ」

「路地裏には?」

 しかしカズラは、俺の問いをあっさりと肯定する。
 その妙な言葉のニュアンスは、どこか引っ掛かる物言いだ。

「『路地裏の亡霊』の正体は犬の鳴き声だけど、路地裏には犬はいなかった。
じゃあ、その鳴き声はどこから聞こえて来たのかな?」

 状況を整理するように改めて問いかけてくるカズラ。
 この矛盾を解決しないことには真相まで辿り着けないが、まだ俺にはその綻びを結びつけるような妙案が思いつかない。

 姿が見えないのに聞こえる、なんて状態はまさに幽霊ではないだろうか。

「じゃあ、別の観点から考えてみようよ」

 うんうんと頭を悩ませている俺を見かねて、カズラはニッコリ笑いながらそう言った。

「そもそもなんで、夜の路地裏で聞こえる声が〝亡霊〟なんて呼ばれてたのかな?」

「それは……姿が見えないのに声が聞こえたから、だろ?」

 目撃者は直接、亡霊の姿を見たわけではない。

 不気味な声を聞いたがそこには誰もいなかった為に、この噂は『路地裏の亡霊』と名付けられた。
 つまりその声こそが、この噂話を構成する主要素と言うことになる。

 “姿が見えないのに不気味な声が聞こえた”と言う状況が逆説的に亡霊を定義づけている。

 考えてみればおかしな話だ。
 誰も亡霊の姿を見ていないことが、亡霊の存在を証明しているなんて。

「でも、おかしいよね。
普通、犬の鳴き声を〝声〟とは勘違いしないんじゃないかな?」

 言われてみて初めて疑問に思う。

 もしカズラの推論が正しかったとして、目撃者たちはどうして聞こえて来た音を〝声〟と称したのだろうか。
 鳴き声でもなく音でもない〝声〟として。

 本来ならば〝夜の路地裏で犬の鳴き声が聞こえた〟と言うべき事実が、どうして〝夜の路地裏に亡霊が現れた〟と言う湾曲した状況になるのだろうか。

「聞き間違い……とか?」

「うーん、おしい! 
でもここまで来れば後一歩かなー」

 破れかぶれな答えだったが、カズラはそれを惜しいと評した。

 聞き間違えてしまったのならば、事実がねじ曲がることなく事件の当事者の落ち度で真実を誤って観測してしまったことになる。

 事実として犬の鳴き声が聞こえても、観測者自身がそれを亡霊と誤認して、第三者に拡散してしまえば、まるで伝言ゲームの結末のように真実は変貌してしまうからだ。


「聞き間違いじゃなくってさ……そのまま聞いただけじゃ分からなかったらどう?」

「どういう意味だ?」

 いまいちカズラが何を言いたいのか分からず、ただ聞き返してしまう。

 そんな俺を見てカズラは、悪戯の種明かしをするようにニヤリと薄く笑った。

「犬の鳴き声は多分、そのまま聞いただけじゃ分からないくらいに〝変質〟してたんだよ」

「変質?」

「オリジナルの音とかけ離れてれば、確かに勘違いしちゃうよね。例えば、そう――」

 変質、と言う言葉に疑問を抱いた俺はカズラに問いかける。

 確かに元々の音源から大きく異なっていれば。
 ぱっと聞いただけでは分からないほどに、オリジナルの音から加工されていれば。
 カズラの推理は一気に現実味を帯びてくる。

 しかし、そんな真似をする人間がどこにいる?

 わざわざ犬の鳴き声を加工し、それを悟られないように夜の路地裏で流す。
 あり得ないとは言わないが、少し現実味に欠ける話になってしまう。

 世の中には変わり者が大勢いると言われればそれまでだが、そんな荒唐無稽な真似をしている人間がいるとは思えなかった。

「反響、とかね」

 だがカズラの言葉は、予想外のものだった。

「反響によってエコーがかかってたとするなら、ただの犬の鳴き声を亡霊の叫びって思っちゃうのもあり得るんじゃないかな?」

「確かに場所は人気のない路地裏だ。そんなところを一人で歩いてたら、気も動転するな」

 これがもし日中堂々の出来事だったならば、話は違ったのかもしれない。
 落ち着いて耳を傾ければ、例え変質していたとしても鳴き声に気づけた可能性もある。

 しかし、ただでさえ不気味な場所を夜に一人で歩いているのだ。
 ちょっとの物音さえ恐怖に転じるだろうし、絶叫めいた音ならば尚更だろう。

「確かにその推理は納得できる。でも、一ついいか?」

 徐々に現実味を帯びてきたカズラの推理に対し、俺は気になっていた点を尋ねる。

「そもそも、その音はどこから聞こえてきたんだ? 
あの路地裏で鳴き声が反響しそうな場所なんてあったか?」

「うん、あるよ」

 しかし、カズラは平然と頷いた。

「お兄ちゃんも今日、自分の目で見てるはずだよ?」

「それって……いや、待ってくれ……」

 ここまで来て俺は、ようやくカズラが何を言いたいか分かった気がした。

 しかし、今考えていることが、本当に正解なのだろうか?
 根拠も自信もない当てずっぽうに近い答えだが、おそるおそるカズラに問いかける。

「排水溝――か?」

 脳内にまず浮かんだのは、ゴミ箱の近くにあった排水溝だった。
 記憶にある限り、あの路地裏で反響しそうな場所はそこしか思いつかない。

「That’s right(その通り)!」

 頼りない俺の言葉にカズラはパチンと指を鳴らし、満面の笑みを浮かべながら頷いた。

「目撃談の中にも『地の底から響く絶叫』って表現されてたけど、あれはきっと文字通りの意味だったんだよ」

「なるほどな……正真正銘、足元の排水溝から聞こえてたわけだ」

 確かに自分の歩いていた排水溝の中から聞こえていれば、そう思ってもしまうだろう。

 夜で視界が悪いことや、恐怖心が手伝って気付かなかった可能性も高い。

「でも、そうなると疑問があるんだよな」

 カズラの推理はここまで来て、恐らく真実へ近いものとなっているだろう。
 しかし、根本的な疑問がある。
 俺はそのことについて尋ねてみた。

「そもそも犬の鳴き声は、どこから聞こえてきたんだ?」

 排水溝の中から聞こえてきたとするならば、その音源となっている犬はどこにいる?
 まさか、排水溝の中に住んでいるわけでもないだろう。

「そこでもう一つの事件がリンクしてくるんだよ」

「もう一つの事件?」

「お兄ちゃんは路地裏に行く前、立ち寄った場所があったよね?」

 確かに俺は路地裏へ向かう前、カズラに頼まれて廃ビルへ行った。

 あの時は野良犬を退治するために忌避剤を撒いたが、それがこの件といったい何の関係があるんだ?

「これがお兄ちゃんが撮ってきてくれたビルの写真」

 二つの事件に何の関係性も見いだせない俺に、カズラは一枚の写真を見せる。

「これを見て、何か気付いたところはある?」

「いや、これと言っては特にないな……」

 それはビルの内部を写した写真だった。

 足元には砕石が敷き詰められていて、床にはセメントの袋や建設資材が置かれている。
 壁からは電気のコードや、水道管。それに排水用の太いパイプも剥き出しになっているが、これと言って不審な点は見受けられない。

「お兄ちゃんが実際に今日、路地裏に行って亡霊と遭遇しなかった理由が分かる?」

「たまたま、じゃないのか?」

「ううん、それは違うよ。
『路地裏の亡霊』は昨日は出たけど、今日は出なかった。
そこにはちゃんと理由があるんだよ」

 カズラは俺の答えを聞くと、静かに首を振って言葉を続ける。

「昨日と今日じゃ、決定的に違うものがあるはずだよ?」

「…………」

 昨日と今日では決定的に違うもの、か。

 時間帯や場所に関しては、昨日と同じ条件を試してみた。
 二人だと出現しない可能性を考慮して、一人ずつ路地裏を歩いてみたりもした。

 それでも今夜、『路地裏の亡霊』は俺たちの目の前に姿を現さなかった。

 一見、ほとんど昨日と同じ条件を満たしているように思えるが……。

「まさかとは思うけど――」

 そう言えば一つだけ、今日にしかしてないことがあることを思い出す。

「忌避剤を撒いたこと……か?」

 その一点だけが昨日とはまったく違うと言い切れる。

「でも、ちょっと待てよ……廃ビルに野良犬が寄りつかなくなったとして、それがどうして『路地裏の亡霊』が出現しなかったことになるんだ?」

 確かに俺が忌避剤を撒いたことは、昨日とは大きく異なる点なのかもしれない。

ただそれがどうして、『路地裏の亡霊』の件に関係してくるのか俺には分からなかった。

「ううん、それがもう答えだよ」

 カズラは告げる。
 それこそが全ての真相だと。
 亡霊の様態を暴く、最後のヒントだと。