「ほんとにいたんだな、聖って人……」
陽太がまだ信じきれないという様子でつぶやいている。
それもそうだろう。実際に声を聞いていなければ、私だって疑っていたと思う。何しろ隣の部屋の声が聞こえるのは、どういうわけか、この部屋だけなのだから。
「直接、聖と会って話はしなかったんですか?」
と私は尋ねた。
そうだ、隣にいたのに、幼なじみなのに、どうして壁越しに話していたんだろう。
「聖のお母さんが、部屋にいなきゃダメだって。余計な体力を使っちゃダメだって」
赤坂先生は悲しそうに言った。
「聖のことを心配してのことだって、わかっていたけど……やっぱり、会えないのは辛かったわ」

『うちの母親は、かなりの心配症だから』

聖はそう言っていた。
聖のお母さんは、きっと、ものすごく聖のことを心配していた。部屋から出ないように。余計な体力を使って消耗しないように。
信じていたんだ。聖の病気が治ることを。
お母さんも、先生も、心から、信じていたんだ。
「聖が起きていられる時間は、日に日に短くなっていた。2時間も起きていられることが稀になって、やがて……声が、聞こえなくなった」
3月のことだった、と、赤坂先生は言った。
「それから間もなく、聖は息を引き取ったの」
ゆっくりと、静かに、聖は、永遠の眠りについたのだ。
「それからすぐ、私は家の都合で、遠くに引っ越したの。本当はずっとここにいたかった……でも、聖がいないのに、隣にい続けることも、辛かった」
「え……」
先生が引っ越したのは、聖が亡くなった後。だけど聖は、先生が遠くに行ってしまったと言った。

『会いたくても会えないくらい、遠くに行ってしまったんだ』

ーー知ってたんだ。
聖は。ずっと、赤坂先生がこの部屋を離れるときも、知っていた。だけど引き止めることができなかった。
それまでのようにーー私と会話をしていたときみたいにーー、壁越しに何かを伝えることはできたのかもしれない。行かないでと、言えたかもしれない。でも、そうしなかった。
先生の悲しみを、きっと誰よりも知っていたから。
この場所から、解放したかった。
別の場所で、新しい生活を初めて、幸せになってほしかったから。

『泣いて泣いて気が済んだら、その人が幸せになりますようにって願うよ』

あの言葉は、きれいごとでもなんでもない、聖の本当の気持ちだった。
自分では、もう好きな人のそばにいられないと、わかっていたから。