「ただいまー……」
玄関を開けて、違和感を覚えた。何かいつもと違うと思ったら、お父さんの靴だ。こんなに早く帰ってくるなんて、めったにないのに。
「ただいま。お父さん、こんなに早く帰ってくるなんて珍しいね」
「ん?ああ……仕事がちょっとバタバタしててな」
「バタバタしてるって忙しいんじゃないの?」
「まあ、いろいろあるんだ」
歯切れが悪いお父さんに私は首を傾げる。
「お父さん」
とお母さんが咎めるように言った。
「光里にも言っておいたほうがいいわよ。もう決まってるんだから」
「そうだなーー光里」
「え、なに?」
落ち着かない空気。今から何か大事何話をしようとしているのはわかる。それが、私にとってあまりいいことじゃないってことも。
「私、宿題あるから、今じゃなくていいなら……」
聞くのが怖くなって逃げようとしたけれど、お父さんは首を振る。
「いや、先延ばしにしても仕方ない。座ってくれ」
テーブルについて、お父さん、お母さんと向かい合う。テーブルには何もない。まるで私が帰ってくる前から、こういう場面を用意していたみたい。
「あのな、転勤することになったんだ」
お父さんは言った。
「え」
「それで、夏休みの間に引越ししようと思ってる」
「え?何言ってるの?そんなのいきなり言われても」
「伝えるのが遅くなってすまない。なかなか決定が下らなくてな……今日本社から連絡があって、秋からと決定になったんだ」
秋から。夏休みの間にーー
「引越すって、どこに……?」
聞きたくなかった。言うのをためらうほど、遠いところなんだとわかったから。
「アメリカだ」
お父さんは言った。
「え……」
頭が真っ白になった。
「な、何言ってるの……嘘でしょ?」
「嘘じゃない。少なくとも2年は向こうにいることになる。いつ戻ってこれるかわからないし、最初は俺だけ行こうと思ってたんだけどな……やっぱり母さんと光里には、ついてきてほしいと思ってる」
「…………」
あまりに唐突すぎて頭がついていかない。
でも、なんとなく、何かがありそうな予感だけはあった。

『光里、もしかして彼氏できた?』
『そう。それならいいんだけど』
『心配しちゃったわぁー』

普段、私のプライベートにはあまり口を挟まないお母さんが、珍しくそんなことを言ってきたときから、変だとは思っていた。
聖との会話をカモフラージュすることを優先して、深くは考えていなかったけれど……
あれは、そういう意味だったんだ。
もし私に彼氏がいたら、遠距離になるから。
たしかに、彼氏はいないし、友達だってひとりしかいないけど……
そういう問題じゃない。
そんなのーーあまりに、急すぎるよ。