夜、明日のテストのことを壁越しにぼやくと、
「いいこと教えてあげる」
と聖がどこか楽しげな口調で言った。
「アマリリスって、3回言ってみて」
「え?」
いいからいいから、と言われて、私は3回「アマリリス」と繰り返した。
「緊張しなくなるおまじない」
「おまじない?」
「アマリリスの花言葉はおしゃべりっていうんだ。おしゃべりに緊張は似合わないでしょ。楽しいおしゃべりを思い出しながら唱えるといいらしいよ」
へえ、と私は相槌を打つ。男の子がおまじないに詳しいのが意外だった。
「聖も緊張することとかあるの?」
「僕はないけど」
とあっさり言う。
たしかになさそう、と思わず納得する。
「僕の幼なじみが人一倍緊張する子だったんだ」
おまじないの本で見つけたと言う。
幼なじみというのはたぶん、好きな子のことだろう。何か力になりたいと思って本を読む聖は、やっぱり優しいと思う。
「明日、やってみようかな」
と言うと、返事がなかった。
かわりに、
「むにゃ……」
と眠そうな声。
「え?何?」
もしかして、寝た?
まだ12時前だけど……。
むしろ12時ぴったり似合う眠くなる体内時計のほうがすごいのだけれど、それに慣れてしまったので、時間が早まったりすると戸惑う。「ああ……ごめん。うとうとしてた」
「今日は早いね」
「うん……」
今にも夢の中に飛んでいきそうな声だった。

「おやすみ……」

また明日、と言うより先に眠ってしまったように、静かになる。
聖が12時前に眠くなることは、最近たびたびあった。
もしかして、疲れてるのかな……。
声をかけようと思いつつ、あまりに眠そうな声に、いつも言葉を飲み込んでしまう。
ふいに、不安が過ぎる。

ーー明日も、話せるよね……?

いつもと変わらない。ただいつもよりすこしだけ話す時間が短くなっただけ。
それだけの変化なのに。
なのに、なんだろう、この違和感。

「聖……」
壁に手を当ててつぶやく。

ーー急にいなくなったり、しないよね?

隣の部屋からは、もうなんの音も聞こえてこない。
毎日、聖と話しているのに。
そんなはずないのに。
まるでこの壁の向こうには誰もいないみたいに、静かだった。