マンションの前で、足が止まった。
門のところに、陽太が立っていたから。
こんなに晴れているのにどうして傘を持っているんだろう、と思って気づく。背の高い男子には似合わない、白と水色のドット柄。それは、先週の土曜日に、カラオケに忘れた私の傘だった。
「光里」
陽太が言った。少し気まずそうにしながら、傘を差し出す。
「これ、忘れ物」
「あ……あり、がとう」
おずおずと受け取る。
ほんの一瞬、手が触れた。熱い。それが自分のものなのか、陽太のものなのか、よくわからなかった。
「あのさ、この前のことなんだけど……」
「い、いいの、あれはもう」
「え?」
「いいからっ」
陽太が何か言いたそうに私を見ている。
ドクドクと、心臓が大きな音を打つ。
「……傘、ありがと。じゃあ」
私はそう言って、エントランスに走った。
脇目も振らずに玄関から自分の部屋に駆け込み、へなへなと座り込む。
美咲に本音を言えて、やっと一歩、前に進めた気がした。
今度こそ、陽太にも本当の気持ちを言える気がした。

だけどーーやっぱり、ダメだった。

また最初に逆戻りした気分。
私には苦手なことがたくさんある。注目されること。人に気持ちを伝えること。
それからーー
窓の外が暗くなり始める。もうすぐ夜がくる。
窓越しに見る夜の景色は安全だ。前の道を通り過ぎる人や車。暗がりを照らす街頭。
聖にも、美咲にも、誰にも、まだ打ち明けられていないことがある。
夜が怖い。暗闇が怖い。嫌でもあの暗い倉庫の中を思い出してしまうから。
何かを克服するのは、きっと、ものすごく勇気がいることだ。力を入れすぎて、疲れて、やがてもういいやと諦めてしまうくらいに。
あれから1年以上経ってもまだ、私は窓越しにしか夜の景色を見られない。