壁の向こうで、聖はたまに相槌を打ちながら、静かに私の話を聞いていた。自分の中にあった感情を、初めて口に出した。
聞いてくれる人がいる。顔が見えなくても、聖が真剣に聞いてくれているのがわかった。
「強くなろうと思ったの。守ってもらうだけじゃダメだって。なのに……」
あれから1年以上が経っても、何も変わっていなかった。
「……顔を見ただけで足がすくんで、何も言えなかった」
楽しそうな彼女を見て、無性に腹が立った。私はあれから、暗闇が怖くなった。人を信じられなくなった。いちばん近くにいた陽太でさえ、突き放してしまった。でもそれを伝える方法がわからなかった。
だってそう言ったところで、きっと彼女はこう言うだろう。

『だからなに?謝ったじゃん』

責められないために、自分から謝ったんだ。
私が、何も言えなくなるとわかっていて。
私はまた、負けたんだ。

「言わなくてよかったと思う」
と、聖が言った。
「ーーどうして」
とっさに、問いかける言葉が口をついた。
「だって、言ってもきっと通じないから。だから、そんなことに余計な労力を使わなくていい」
それは、私も思っていたことだ。言っても仕方ない。いまさら、どうにもならない。でも言うべきだった。私は今もこんなに苦しんでる。言えない自分が苦しかった。
それに、と聖は力強く続けた。
「光里は負けてないよ」
「え……?」
「だって、光里は今までひとりで闘ってきたんだから。今も闘ってるから。だから、絶対に、負けてなんかない」
私は声もなく、息を吸い込んだ。
闘ってるーーそんな風に思ったことはなかった。
あの日からずっと、私は抗えない何かに負け続けてると、思っていた。
でも、何に負けたんだろう。私は何と闘ってだんだろう。
「それよりも、ちゃんと話すべき相手がいると思うよ。今も、すぐそばにいる人が」
「……っ」
陽太。私が誰よりも本当にわかってほしかったのは、陽太だった。
あの日から、私の心は陽太から離れてしまった。人気者の陽太には私の気持ちはきっとわからないだろうと思った。わかってもらおうとも、しなかった。
「陽太くんは、待ってるんじゃないかな。光里が話してくれるのを、ずっと」
「……そんなこと、ないよ」
カラオケでの陽太を思い出す。

『やめろよ』

『光里が、嫌がってるのわかんないのかよ!』

怒ってくれた。真っ先に止めてくれた。
私がいじめられて泣いていたとき、いつも飛んできてくれたみたいに、真剣に。
どうして怒ってくれたんだろう。私、何も言ってないのに。あのときのことを、陽太は知らないはずなのに。
胸が苦しくなる。でも、と弱気な自分が先に口を開く。
「でも、向こうには彼女がいるし」
「彼女がいたって、話すくらいはいいんじゃない?」
「でも、やっぱり、私だったら、嫌だなと思っちゃうと思う。幼なじみだからって、自分の知らない彼氏のことを知ってる子が馴れ馴れしく話しかけてきたりしたら……」
清水さんは、きっといい子だから。私のことを邪魔と言ったり、大勢で寄ってたかって暴言を吐いたりは、たぶんしないと思う。だからこそ、考えてしまう。一度離れたのなら、私はもう最初から関係のないふりをしていたほうがいいんじゃないかって。
私は所詮、ただの幼なじみなんだから。
「光里は優しいね」
と聖は言った。慰めるように、でも少し、寂しそうに。
「でも不器用なところは、僕とそっくりだ」
「聖も?」
前に聖が洩らした言葉を思い出す。
好きな子に気持ちを伝えられないまま、離れてしまったこと。もう会えなくなってしまったこと。