音楽室の窓際の棚の上に、赤い花が生けられた花瓶がある。色合いの少ない音楽室でその赤い花はくっきりと目立っていて、無意識に視線が寄せられる。
その花をぼんやり眺めながら口を動かしていると、ふっと、ピアノの音が止まった。
「そこ、口パクしない」
赤坂先生の声に、私はギクリとする。何を隠そう、口パクしていたのは私だったから。
どうしよう。先生、こっち見てる。めちゃくちゃ見てる……!
刃物のように鋭い先生の目から逃げるように目を伏せて、名前を言われませんように、と心の中で祈る。
赤坂先生は何も言わずに冷ややかな視線を楽譜に戻し、ふたたびピアノを弾きはじめた。
こっちを見ていないのに、どうしてわかるんだろう。もしかして音楽の先生って、ひとりひとりの音を聞き分けられる特殊な耳を持っているのかもしれない。
かろうじて声を出してみたものの、やっぱりどこか調子が外れている気がして、死にかけの虫の羽音みたいに、どんどん小さくなっていく。
私は音楽が苦手だ。小さい頃の私は、歌を聴くのも歌うのも楽器を弾くのも大好きだったけれど、好きだからって上手くできるわけじゃない。そのことに気づいたのは、中学の部活がきっかけだった。
吹奏楽部に入ったのは、もちろん音楽が好きだったから。最初は楽しかった。新入生はみんな、ほとんど同じレベルだったから。でも、だんだん差ができてきて、夏になる頃にはその差は歴然で、私は部活の中で「落ちこぼれ」になっていた。
ある日、同じ学年の女の子に言われた。練習中、みんなの前で。

『葉山さん、ちゃんとやってくれる?』

恥ずかしくて、全身が熱くなった。
やってる、と自分では思っていた。毎日休まず、一生懸命練習していたし、家で指の練習だってしていた。楽譜も覚えて、真剣にやっているつもりだった。でも、そう思っているのは、私だけだったのだ。

『やる気がないならやめてくれる?迷惑だから』

まわりを見ると、みんな気まずそうな顔をしていた。誰も反論しようとしなかった。そのとき、私がいると迷惑になるんだと、はっきり思い知らされた。
それ以来、演奏が始まるたびに、手が止まってしまうようになった。「また遅れているかも」「迷惑かけているかも」。そしてついに音が出せなくなった。私の音がなくても、演奏は問題なく進んでいった。それどころか、いつもよりずっとスムーズに音が流れている気さえした。
無言のうちに、「早く辞めろ」と言われているようだった。
そのプレッシャーに耐えきれなくて、私は夏休み明けに退部届けを出した。
だけど、部活を辞めても音楽の授業はある。合唱コンクールや卒業式の歌の練習、授業での合唱でさえ、「自分だけができていない」気がした。
赤坂先生のことも苦手だ。若くて美人な先生だけれど、目つきや口調がきつくて、その目を向けられただけでビクビクしてしまう。
先生も呆れていると思う。でも、好きで口パクしているわけじゃない。声が、うまく出せないんだ。
音楽の授業が終わると、いつもどっと疲れていた。