目が合ったのは一瞬だった。早く行こう。
早足で通り過ぎようとした矢先、
「……葉山さん?」
まさかと思っていたのに、後ろから声をかけられた。
葉山さん。その呼び方に激しい違和感を覚えた。無視すればよかったのに、思わず立ち止まってしまった。
「な、なに」
「やっぱりー!全然変わってないからすぐわかった。久しぶりー」
激しい温度差に寒気がした。まるで友達との再会を喜ぶような。彼女と友達だったことなんて、一度もないのに。
「誰?」
年上に見える男の人がとくに興味もなさそうに尋ねる。
「同中の子。私たち、同じ人が好きだったのよ。ね?」
びっくりした。初めて彼女の口から聞いた言葉。その、あまりにも軽い響きに。
「は?好きな奴?誰だよ?」
「大丈夫だよぉ。もう全然関係ないしー」
なんだろうこの会話。甘ったるい声にイライラする。関係ないなら放っといてほしい。
「あの、じゃあ……」
そう言って立ち去ろうとしたとき、
「あ、待って」
もうやめてほしかった。これ以上、構わないでほしい。
「ずっと気になってたの。葉山さんのこと。悪いことしたなって」
悪いこと……?
「若気の至りっていうか、悪ふざけっていうかさ。ほんとはあんなことするつもりじゃなかったし」
つもりじゃなかった?でも実際、したじゃない。
人を痛めつけておいて、そんな軽く言える神経が信じられない。
私は、あの日からずっとーー
「だからさ、葉山さんも忘れてね。とにかく、それが言いたかったんだ」
じゃあね、と笑顔で言って、彼氏にもたれかかるように歩く。
呆然と立ち尽くす私の頭に、冷たい雨が落ちてきた。
あんなの、完全に、自己満足だ。自分の中のわだかまり(本当にそんなものがあったかどうかさえわからない)を、晴らしたかっただけだろう。
その証拠に、私の言葉を彼女が聞くことはなかった。

『私たち、同じ人が好きだったの』

『悪いことしたなって』

あれは、そんな軽い言葉で済まされるようなことだったのだろうか。
その程度のことを、今でも引きずっている私がおかしいの?
頼んでもいないのにーー
せっかく閉じた蓋を、どうしてみんなして、無理矢理こじ開けようとするんだろう。
ポタポタッ、と雨が涙のように落ちてくる。
やっぱり傘、取りに行けばよかったな。
少し後悔したけれど、やっぱり取りに戻る気にはなれなかった。