「やめろよ」
そのとき、ドアが勢いよく開いた。陽太がコップの乗ったトレーを、乱暴にテーブルに置いた。
「外まで丸聞こえ。あと守屋、おまえ調子に乗りすぎ」
「なんだよ、べつに隠すことじゃないだろ。嘘言ってるわけでもねえし」
「だからって今言うことでもないだろ。言われるほうの気持ちも考えろよ」
「なんだよ偉そうに。おまえが何にも教えてくれないから、葉山に訊いただけだろ」
「だからーー光里が嫌がってるのわかんないのかよ!」
「……っ」
その瞬間、胸が、ズキンと痛んだ。

『光里』

陽太に名前を呼ばれるのが好きだった。
自分に似合わないこの名前も、陽太が口にすると、なんだかすごくいいものに思えた。
でも、こんなところで、こんな風に、聞きたくなかった。
しんとした室内に、テレビから流れる明るい音楽が空々しく流れている。
「……ごめん。私、帰るね」
ほんの一瞬、美咲と目が合った。困った顔で私を見上げている。ごめんね、と心の中で謝る。

ーー私、美咲にずっと嘘をついていたんだ。

陽太の顔を見られなかった。みんなの顔も。
気まずさに耐えきれず、私は部屋から飛び出した。
受付で会計を済ませて外に出てから、気づいた。
傘、入口に置き忘れた……。
朝晴れていた空は、薄い灰色の雲に覆われていてほとんど見えなくなっている。今にも雨が降りそうだった。
戻ろうと思ったけれど、誰かと鉢合わせたくなくて、結局それもできなかった。