陽太は、同じマンションに住んでいる幼なじみだった。
私は小学校に入るのをきっかけに、この街に引っ越してきた。それまではお父さんの仕事の関係で、アメリカにいた。3歳から6歳の3年間だけれど、小さい頃の3年は大きい。最初は文化の違いに慣れるのが難しくて、いろいろなことにうまく馴染むことができなかった。人間関係もそのひとつ。
昔からぼうっとしていて気が弱かった私は、近所の男の子たちからいじめられることがよくあった。石や泥を投げられたり、すれ違い際に突き飛ばされたりして、しょっちゅう泣いていた。
そんなとき、いつも助けに来てくれたのが、陽太った。自分より大きな体の上級生にも怯まず向かっていく陽太は、誰よりもカッコよかった。照れ臭くて言えなかったけれど、ヒーローみたいだと、ずっと思っていた。

『なんかされたら言えよ。俺が絶対、光里を守ってやるから』

そんなセリフを真顔で言うから、こっちが恥ずかしくなってしまう。

『わかった。じゃあ陽太が困ったときは、私が助けてあげるね』

私が照れ隠しでそう言うと、

『ま、俺が困ることなんてそうそうないけどな』

と陽太は意地悪っぽく笑って言ってた。

活発で友達の多い陽太と、引っ込み思案で人見知りの私。性格は正反対だけど、一緒にいるのが楽しかった。学校に行くときも、帰ってきてからも、いつも一緒。公園で遊んだり、マンションの屋上で暗くなるまで話したり……そんな風に、いつまでも変わらずこの日常が続いていくのだと、思っていた。
だけど、中学に入って、その気持ちが変わり始めた。
一緒にいる時間が減ったのも理由のひとつだった。
サッカー部の陽太は部活に夢中で、帰りが遅くなった。私はとくにやりたいことがなく、クラスメイトに勧誘されるがまた吹奏楽部に入ったけれど、練習についていけなくなって、半年で辞めてしまった。
春から夏にかけての季節が好きだった。夜になるのがすこしずつ遅くなっていくから。部活帰りの陽太と、マンションの屋上で、空が暗くなるまで話した。学校で嫌なことがあっても、その時間があればあっという間に忘れることができた。
一緒にいる時間は減ったけれど、私たちには共通の趣味があった。それが音楽だった。

『これすげえカッコいいから聴いてみて!』
『ほんとだ!なにこれすごい!』

夕焼けに染まる空の下、屋上の柵に背中を並べて、片方ずつイヤホンを分け合って音楽を聴くのが大好きだった。
陽太はロック好き、私は女性シンガーの可愛らしい歌が好きだったけれど、ジャンルなんて関係なかった。自分いいと思ったものを大好きな人にも教えたかったし、知りたかった。同じものを共有したかった。あえて言わなくても、その気持ちはきっと、二人とも同じだったと思う。
いつしか陽太への好きな気持ちが変わっていった。それは私にとって自然なことだった。
いつも一緒にいる、いちばん近い存在の男の子。まわりの女の子たちが恋話をしているとき、頭に浮かぶのは陽太だけだった。

ーー陽太が好き。

その気持ちにはっきり気づいたとき、私は陽太といるのが少し苦しくなった。
陽太はほかに好きな子がいるんじゃないかな。守られてばっかりで、私は陽太に何もできることがない。私は陽太と一緒にいていいんだろうか……次第にそう思うことが増えていった。
中学3年の冬のこと。放課後、教室に忘れ物を取りに行ったとき、数人の男子たちが話しているのを、聞いてしまったのだ。

『お前には葉山がいるだろー』

中に入りづらくて教室の前で待っていると、突然、私の名前が聞こえてきてドキリとした。

『べつに』

と陽太が言った。

『光里はただの幼なじみだから、そういうんじゃないよ』

ーーただの幼なじみだから。

胸が痛んだ。紙に大きく書いた「好き」という文字が、ビリビリに破られたみたいだった。
ああ、そうか。好きだと思っていたのは、私だけだったんだ。
頭が呆然として、男子たちの笑い声を壁越しに聞いていた。
そんなある日、私にとって立ち直れないくらい、ショックなことが起こった。
陽太にも話せないくらい、私は塞ぎ込んでしまった。
卒業式の日。私たちは大ゲンカをした。
それまでほとんどケンカなんてしたことがなかったのに、その日に限って、私は陽太にひどいことを言ってしまった。

『陽太といるのが辛い。ロクなことがない。もう話したくない!』

辛いけれどがあって、それを言えなくて、ただの八つ当たりだった。陽太は何も悪くないって、自分がいちばんわかっていた。
でも、一度口にしてしまったことは、取り消せなかった。

『わかった』

陽太はそう言った。
それ以来、私は陽太と話していない。
小さな頃からずっと一緒にいたのに。
高校に入ってからの1年は、急に赤の他人になったみたいだった。
このまま話すことがなければ、私たちは本当に、他人になってしまうのかもしれない。