「暑いなー」
「暑いねえ」
マンションの屋上の、小さな屋根の下でアイスを食べる。
小さい頃よくやっていたことを、久しぶりにやってみようと思いつきで言い出したのは陽太だった。
風もなく、ジリジリした日差しは、日陰でもきつい。でも、昔よく食べたソーダアイスは、今でも相変わらずおいしかった。
アメリカ行きが少しだけ先延ばしになって、夏の間は日本にいられることになった。
お父さんだけ仕事があるため先に向こうに行って、今は私とお母さんだけがこのマンションに残っている。私にとって一大決心だったのだから、これからいのワガママは聞いてもらってもいいと思う。
陽太といられるのもあと少し。
その貴重な時間を、こんなことに使っていていいんだろうか……。


あれから一度だけ、お隣の本田さんの家にお邪魔した。赤坂先生も一緒に。
聖のはお母さんは、最初のうちは前と同じように拒んでいたけれど、
『お願いします。一度だけでも、線香をあげさせてもらえないでしょうか』
先生の必死な願いが通じたのか、ドアを開けてくれた。
必要最低限の物しかない、生活感のない部屋。物がないから、ほとんど同じ間取りなのに、うちよりもずっと部屋が広く感じる。
胸が苦しくなった。ここで、聖のお母さんは、ひとりで住んでいるんだ。たったひとりの子どもを喪った悲しみを、今でも抱えながら。
遺影に写る聖は幸せそうに笑っていた。あの夜、月明かりの下で見た聖よりずっと元気そうに。
『まだ病気になる前の写真です』
線香をあげ終え立ち上がろうとした私たちに、聖のお母さんは言った。
『まだあの子が元気だったときの、最後の……』
お母さんの赤くなった目が、赤坂先生を見ていた。
『私、あなたに謝らなければと、ずっと思っていたの。心配するあまり、あの子を部屋に閉じ込めて、あなたが家に来ることも禁止した。余計な体力を使わせないでと。あなたと会って話すことが、あの子にとっての希望だったのに。聖は、あなたのことを誰よりも必要としていたのを知っていたのに……母親失格だわ』
赤坂先生は首を振った。
『聖は、お母さんのことが大好きでしたよ』
懐かしむようなその声に、聖のお母さんはハッと顔をあげた。
『聖、いつも言ってました。心配症すぎて困ることもあるけど、たったひとりの家族だから。負担をかけたくないから、ここにいるんだって』
それに、と先生は続けた。
『それに、私、幸せだったんです。顔が見えなくても、隣にいられるだけで、充分幸せでした』
聖のお母さんの嗚咽が、部屋に響いていた。
『よかったら、聖の部屋にも行ってあげて』
お母さんはそう言って、聖の部屋に案内してくれた。
今まで見てきた虚な目をした彼女とは、まるで別人のようだった。涙と一緒に気持ちを吐き出したことで、何かが吹っ切れたのかもしれない。態度だけじゃなく、表情も少し柔らかくなった気がする。
『変わってない……』
ドアの前で、赤坂先生は懐かしそうにつぶやいた。
制服。鞄。勉強机。教科書。本。漫画。きれいに整頓されてはいるけれど、その部屋にはほかの部屋にはない、まるで今も聖がいるような生活感があった。
机の上には写真立てがあった。聖、と先生が呼びかけるように言って、泣き崩れた。
そこには高校生の聖と、赤坂先生ーーいや、赤坂由花という名前の女の子がいた。たぶん、入学式の写真だろう。満開の桜の下、桜に負けないくらい満面の笑みのふたり。本当に幸せそうに寄り添って。

『おかえり』

聖が、そう言っているみたいだった。