「記憶がないから、どうして母親が火をつけてまで、家族を壊そうとしたのか本当に分からないんだ。親族は好き勝手に、夫婦仲が悪かったせいとか、育児ストレスでとか、いろんな噂をしてたけど」
「そうだったんですね……」
「俺は母親に殺されかけた事実だけ残って、でも今こうして生きてる。親に殺されかけてまで、大切なことを忘れる記憶障害を残してまで、生きてる意味って、なんなんだろって……ずっと分からなかったし、今も正直分からない」
 答えに困るようなことをだらだらと言ってしまったことに気づき、俺はそこで話すことを止めた。
 しかし、琴音はじっと俺の顔を見つめてから、まっすぐな瞳でこう返した。
「生きる意味のある人間なんて、世界中のどこにもいないと思います」
 諭すわけでも、慰めるわけでもなく、琴音は当たり前のようにそう答えた。
 あまりにもはっきりとした答えに、俺は目から鱗が落ちるような思いで、ただただ彼女を見つめる。
「記憶障害に関しては、大切なことだって思ってても、私は忘れっぽいからすぐ忘れることたくさんあると思います。その頻度が多いか少ないかだけの話で、それだけです」
「……たしかに、忘れっぽそうだなお前」
「いつか忘れるし、いつか死ぬけど、でも、瀬名先輩と一緒にいることに、私は意味を感じてるから……、だから……」
 必死な顔をしている琴音を見て、なんだか少し笑えてきた。
 本当にそうだ。どんな人間だって、大切なことを全部覚えてはいられない。
 今一緒にいることに意味があると、それしか答えはないのだと、琴音は言いたかったのだろう。
 なんでそんな簡単なことに、今まで気づけなかったのだろう。
 おかしくて……なんだか少し、泣けてくる。
「あらためて言っておくけど、俺、お前のこといつか忘れるかも」
 今朝、祖父に言われたことを思い出し、俺はこのことを真剣に話しておかなければならないと思った。
 考えたたくもない未来だし、今のことだけ見て逃げていたいけれど。
 でも、俺といることに意味があると言ってくれた琴音を、絶対に傷つけたくないから。
「……それでも、“忘れた”ことは、“大切だから”だって、分かってくれるか」
 そう問いかけると、琴音は一瞬表情を固まらせた。
 究極の質問に、世界がスローモーションのように遅くなって見える。