「十文字くん、い、行こう」


発車すれば振り落とせるのでは?と考えた私は、声を上ずらせながらも指示を出した。
しかし、運転席の彼はエンジンをかけようとしない。


「十文字くん?」


早くして!
焦って彼を見つめると、朝、深沢さんをにらんだようなとがった視線をカエルに向けている。

いや、彼に見えているはずはないので気のせいか。と思っていると、カエルはふと姿を消した。


「一緒にいないと困るのは、あやめじゃないのか?」


ん? 
串さとの店長に襲われて助けてくれたときと同じような口調の彼に、唖然とする。

しかもまた『あやめ』って……。


「十文字くん?」


どうしたの? 

彼の腕をポンポンと叩くと、彼はガクッと脱力して目を閉じた。
そして次に目を開くと不思議そうな顔で私を見つめる。


「篠崎さん。どうかしましたか?」
「……ううん、なんでもない」


さっきのはなに?

別人のようなセリフを吐いたというのに、目の前にいるのは間違いなくヘタレな十文字くんだ。

しかも、自分があんな言葉を口にしたとは気づいていないような素振りなので、首をひねる。


「次に行きましょうか」


彼はようやくエンジンをかけた。