その日の夜、ニコラの授乳を終えた頃、控え目なノックの音が部屋に響いた。

「はい?」
「私です。入ってもいいでしょうか?」
「はい。どうぞ」

 そっと扉が開くと、旦那様が入ってきたのだった。
 部屋着に着替えたのか、よくアイロンがかけられたパリッとした白いシャツと黒いズボンの姿だった。

「お帰りなさいませ。旦那様」

 御國がニコラを抱いたままベッドから出ようとすると、旦那様は一瞬、驚いた顔をした。
 そうして、「そのままで結構です」と片手を上げると、御國を制したのだった。

「私に用事があると伺いました。何か不足している物がありましたか? それとも、体調が悪化されましたか?」

 恐らく、昼間のメイドから話を聞いて来てくれたのだろう。
 端正な顔立ちに、心配そうな表情を浮かべていた。
 そうして、旦那様は御國に目線を合わせる為か、ベッド脇に椅子を持ってくると座ったのだった。

「わざわざ部屋まで来ていただいてすみません。でも、用事という訳では無いんです」
「それでは……。何か?」
「最近、お部屋に来ていただけないので、お仕事が忙しいのかと、心配になっただけでして……」

 首を傾げていた旦那様だったが、今度は目を丸くしたのだった。

「今は繁忙期では無いので、さほど忙しくはありませんが……?」
「そうですか。それなら良かったです」

「安心しました」と御國はゆっくりと微笑んだが、旦那様はますます不思議そうな顔をしたのだった。

「話はそれだけですか?」
「えっと……。そうですね」

 御國が引き留めようと口を開いた時、丁度、旦那様の視線が御國の腕の中に移った。
 その目線を辿ると、腕の中にはすやすやと眠るニコラがいたのだった。

「あの、旦那様!」
「はい?」
「もし、もし良かったら……ニコラを抱いてみませんか?」

 御國の言葉に、旦那様はアメシストの様な紫色の瞳で瞬きを繰り返すと、じっと御國を見つめてきた。
 そうして、椅子ごと御國に近いてきたのだった。

「私がニコラを抱いていいんですか?」
「抱いていいも何も……。旦那様はニコラの父親……ですよね? 抱いていいに決まっています!」

「さあ」と、御國はニコラを抱いた腕を、旦那様に向かって差し出す。
 けれども、旦那様は、「だが……」や「いや……」と言って、何やら迷っているようだった。

「旦那様……?」

 御國が首を傾げていると、やがて観念したのか、旦那様は剣を受け取るように、大切そうに両手でニコラを受け取ったのだった。

「首がまだ据わっていないので、腕で支えてあげて下さい。反対の腕で足を支えて」

 御國はベッドから出て旦那様の隣に来ると、ニコラを抱くのを手伝った。
 旦那様はおっかなびっくり抱いていたが、丁度良い位置を見つけたのか、やがて安定してニコラを抱いたのだった。