「昨日も来なかった……」

 ベッドの上で上半身を起こした御國がため息をつくと、部屋を掃除していたメイド――御國が初日に出会った赤茶色の髪のメイド。は、ビクッと肩を揺らしたのだった。
 メイドは御國の様子を恐る恐る確認すると、また掃除に戻ったのだった。

 御國がモニカとして生活を始めてから、今日で三日が経った。
 その間、ニコラの三時間おきの授乳――身体に障るからと昼間しかやっていないが。以外は、ほとんどベッドでの生活が続いていた。
 この三日間、授乳以外何もさせてもらえず、退屈ではあったが、その分、部屋に入って来るメイド達の会話を聞いていて、いくつかわかったことがあった。

 まず、御國と――モニカとニコラは親子で間違いないこと、ニコラの父親は御國が目覚めた最初の日に、様子を見に来た「旦那様」で間違っていないらしい。
 けれども、モニカと旦那様は、夫婦らしい親密な関係では無いようだった。
 その証拠に、最初の日以降、旦那様は一度も部屋にやって来なかった。
 ただ、メイド達の話からすると、毎日、屋敷には帰宅しているらしい。

 そして、モニカは一ヶ月程前に、屋敷内の階段から転落して、ずっと意識が戻らなかったこと――まるで、元の世界の御國と同じように。
 それなら御國が目覚めた時に、ニコラが寝ていたベビーベッドまで歩くのが困難だった訳も理解した。
 一か月も寝ている間に、筋力が衰えてしまったのだろう。
 モニカの意識が戻るまで、そして現在、夜間のニコラの世話は、旦那様が雇った乳母がニコラの面倒を見てくれていたとのことだった。

(ニコラの母親としては、目覚めるまでニコラを看てくれたという乳母さんにお礼を言うべきなんだろうし、元の身体に戻る為にはもっと情報を集めるべきなんだろうけども……)

 でも、と御國は先程から部屋を掃除してくれているメイドに視線を向ける。
 このメイドもそうだが、どうも「モニカ」はメイドたちを始めとする使用人たちに、恐れられている様子だった。
 誰もが「モニカ」とは目線を合わせてくれず、「モニカ」から話しかけようとすると距離をとろうとしたり、手が震えていたり、俯いたりしていた。
 もしかしたら、「モニカ」は使用人たちに恐れられる存在だったのかもしれない。
 それでも御國は元の身体に戻る為に、情報を得なければならない。

 何か話しかけるきっかけはないだろうか。と考えながら、メイドが掃除する姿を見守っていた時だった。
 メイドは鏡台の拭き掃除に夢中になっていたのか、肘が近くの花瓶に当たりそうになっていることに気付いていなかった。
 御國は音を立てないように、そっとベッドから出ると、メイドの肘がぶつかる前に、バレないように花瓶の位置をずらそうとした。

「あっ……」

 けれども、御國が花瓶に手が届く直前に、メイドの肘が花瓶に当たってしまった。
 御國は慌てて手を伸ばすと、花瓶を支えたのだった。

(危なかった……)

 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、視線を感じて振り返ると、そこには真っ青な顔になったメイドがいたのだった。

「も、申し訳ございません……! モニカ様の手を煩わせるなど……!」

 メイドは泣きそうな顔で、何度も頭を下げてきた。

「大丈夫です。それよりも花瓶の水が身体にかからなかったでしょうか?」

 御國は花瓶を元の位置に戻しながら確認すると、メイドは「大丈夫です!」と何度も頷いたのだった。

「それなら良かったです」

 せっかくだからと、御國は気になっていたことを尋ねたのだった。

「最近、旦那様をお見かけしてないんですが、お仕事が忙しいんですか? それとも、お身体に何か……?」

 御國の言葉に、メイドは何を言われたのかわからないという顔をしていたが、やがて慌てて首を振ったのだった。

「いえいえ! そこまで忙しい訳ではなさそうですが……。あの、旦那様にご用事でしょうか?」
「えっ!? いえ……。用事という程でもないんですが。ここ三日間、お姿をお見かけしていなかったので、心配で……」

 御國は何気なく尋ねただけだったが、メイドは訝しげな顔をしてしまったのだった。

(そんなに変な質問をしたかな……?)

 困らせてしまったかと、御國は「大したことじゃないからいいんです」と首を振った。

「ただ、私やニコラに会いに来れないくらい、お忙しいのかと心配になっただけですので。何でも無いならいいんです」
「はあ、そうですか……」

 メイドは納得していないようだったが、御國はそこで話を切るとベッドに戻ったのだった。

(やっぱり、仲悪いの? 私たち……)

 首を傾げたまま掃除を再開したメイドを見ながら、御國は不安になったのだった。