「男爵家に移り住んだ私は男爵家の当主だった祖父母が亡くなった後、その跡を継いで、ハージェント男爵となりました。
 十六で地方の騎士団に所属する騎士見習いとなり、二十二の時に騎士を叙任して下級騎士となりました。
 そんな私を王都の騎士団本部に引き抜いたのが、今の隊長です」

 マキウスは風の噂で聞いていたが、数年前、ヴィオーラの母親が病気で亡くなると、ブーゲンビリア侯爵家はヴィオーラが跡を継いだらしい。
 贅沢三昧の暮らしをして、侯爵夫人として何もしなかった母親とは違い、ヴィオーラは父親譲りの才能を遺憾なく発揮していると。

「そうだったんですね……」

 話し終わると、マキウスは空を見上げた。
 モニカもつられて見上げた丸い空は、どこまでも高くてーーどこか寂しささえ感じた。

「母親同士の仲は険悪でしたが、隊長は私に優しくしてくれました。……いつも振り回されていましたが」

 部屋に籠もっていたマキウスの元に、ヴィオーラは母親の目を盗んで、よく遊びに来ていたらしい。
 日によっては、ペルラの娘であるアマンテとアガタも一緒にやって来て、四人で遊んだ。
 四人のリーダー的存在のヴィオーラ、まとめ役のアマンテ、ヴィオーラ以上にマキウスの姉のような顔をするアガタ。
 そして、三人の姉に振り回されるマキウス。

 マキウスはヴィオーラに連れられてこっそり屋敷を抜け出すと、王都の街中に遊びに行ったこともあった。
 あの時は、姿が見えなくなった姉弟が、誘拐事件に巻き込まれたと勘違いされて、大騒ぎになった。
 時には屋敷の使用人に悪戯をして、二人の乳母であるペルラに怒られたのだった。

 モニカは一切口を挟まず、ただマキウスが話す姉弟の思い出話に耳を傾けていた。

「子供の頃、隊長は母には内緒だと、高価な菓子を持って来てくれたことがありました。
 二人で分け合って食べた菓子の美味しさ、甘さは今でも忘れられません」

 その時を思い出したのか、マキウスは在りし日を懐かしむような顔をしたが、「ですが」とすぐに眉根を寄せた。

「そのような日々は、もう来ません。子供の頃に失われてしまったのです」

 昔は姉と弟であり、侯爵家の姉弟であった。
 けれども、今は隊長と部下であり、公爵と男爵でもあった。
 半分ではあるが血を分け合った姉弟は、もう同じ位置に並ぶことさえ許されないのだろう。

 その時、一際強い風が吹いた。
 強風に煽られて、マキウスの横顔を隠すように、灰色の髪が靡いた。
 それが収まると、マキウスはモニカの方を向いて、微笑を浮かべたのだった。

「そろそろ、屋敷に戻りましょう。風が冷たくなってきました」
「はい……」

 風に靡く金の髪を抑えながら、マキウスの後ろについて、広場に停めた馬車に向かって歩いて行く。
 広場までの道すがら、モニカは気になったことを尋ねたのだった。

「もし、子供の頃のように、立場や身分を気にしなくていいのなら……もう一度、ヴィオーラ様との関係を取り戻したいですか?」

 前を歩くマキウスがどんな表情をしているのかは分からなかった。
 けれども、しばらく経った頃、マキウスはぽつりと呟いたのだった。

「そうですね。……願わくは」

 その呟きは、風にさらわれて、やがて消えていったのだった。