「さて」

 マキウスは先程までニコラが寝ていた場所に座った。
 マキウスの端整な横顔に、モニカの胸は大きく高鳴ったのだった。

「貴方とは、いくつかお話したいことがあります」
「はい、私もマキウス様に聞きたいことがあります」
「そうでしょうね。その前に、先にこれをお願いしてもいいですか?」

 そう言ってマキウスは、先程アマンテに手渡された白い羊皮紙を渡してきたのだった。

「マキウス様、これは?」
「婚姻届です」
「これが、婚姻届……」
「そうです。文字は読めますか?」

 マキウスに心配そうに訊ねられて、モニカは受け取った羊皮紙をざっと読む。
 この世界に来たばかりの、まだ「御國」だった頃は、文字の読み書きは全く出来なかった。
 けれども、「モニカ」と混ざり合ってからは、一通りの読み書きが、出来るようになっていた。

 文字を見れば、自然と頭の中で日本語に変換されて浮かんできた。
 文字を書こうとペンを持てば、頭に浮かべた日本語が手が勝手に動いて、この世界の文字に変換された。

 この羊皮紙も、目を通したら、頭の中で日本語に変換されたのだった。
 
「はい。読めます」
「それなら、良かったです。この婚姻届に名前を書いて欲しいんです。
 これでようやく、私たちは夫婦になれます」

 以前、マキウスは、モニカとはまだ婚約関係だと言っていた。
 その辺りの記憶は「モニカ」から引き継いでいないのでわからないが、どうやら「モニカ」はマキウスが用意した婚姻届を頑なに拒否していたらしい。

「子供がいるのに、夫婦じゃないというのは体裁が悪いですからね。私は先に名前を書いています。後は貴方の名前を書いて、騎士団に提出するだけとなります」

 もう一度、羊皮紙を読むと、既にマキウスの名前が書いてあった。
 モニカはインク壺とペンを取り出すと、机代わりに使っている鏡台に置いた。
 その様子を見たマキウスは「今度、書き物机を用意しますね」と苦笑したのだった。
 
「ここに名前を書けばいいんですね?」
「そうです」

 モニカが指差した箇所を見たマキウスは頷いた。
 けれども、モニカがペンを握ったまま固まってしまったので、マキウスは眉を顰めたのだった。

「どうしましたか? もしかして、文字が書けませんか……?」

 マキウスが心配そうに問いかけてきたが、モニカは首を振ったのだった。
「いいえ。そうじゃないんです。なんだか、緊張してしまって」
 
 婚姻届に名前を書いて、マキウスの妻になる。
 それ自体は何も心配はない。不安も。

「まだ、自分がモニカになったという自覚が無いんです。だから、間違えずに名前を書けるか緊張してしまって」

 今でも気を抜くと、元の世界での名前である「御國」と書いてしまいそうだった。
「モニカ」として、これからこの世界で生きると決めた以上、しっかりしなければならないのに。
 すると、マキウスは側にやってくると、そっとモニカの肩に触れた。
 そうして、安心させるように微笑んだのだった。

「何回、書き間違えても大丈夫ですよ。婚姻届はいくらでももらってこれますからね……仕事先から」
「そうなんですね」
「貴女が早くこの世界と、ここでの生活に慣れるように、私も力を尽くします。その為なら、婚姻届をもらってくるだけの些細な労力など、全く苦になりません」

 モニカは安心すると、婚姻届に名前を書いた。
 生年月日の欄はわからなくて悩みかけたが、これは「モニカ」から受け継いだ記憶の中にあった。

 これまでの「モニカ」が蓄積してきた思い出や知識を、今のモニカは「モニカ備忘録」と称している。
 自分と混ざり合ったことで、「モニカ」も自分の一部となった。
 それによって、この世界の文字の読み書きが出来るようになった。

 けれども、思い出だけは、どこか客観的に見ているような、テレビを見ているように見ていた。
 実際は体験していないのに、実体験をしているような気分になる。
 その時に「モニカ」がどう感じたのか、どう考えたのかはわかるのに、今のモニカは実際に体験していないから、ただそれを眺めているだけ。

 一人になった時、たまに「モニカ備忘録」を見ているが、まさに映画を観ているか、小説を読んでいるような気分になるのだった。
 
「はい。書けました」

 モニカが渡した婚姻届をマキウスは眺めると、満足そうに頷いたのだった。

「ありがとうございます。それでは、明日、騎士団に提出しておきます」
「ところで、どうして騎士団に婚姻届出すんですか? お役所……。戸籍を管理しているのは、文官とか、役人とか、とにかく別の場所だと思っていました」
「ああ。それは、騎士団の一部が担っているからですよ」
「騎士団が……?」