寝室に入ると、マキウスが明かりを点けてくれた。
 この明かりも魔力に反応して点くようで、魔法石が無い間は、ティカやエクレアを始めとする使用人たちが部屋に来て、モニカの代わりに明かりを点けてくれていた。

「先程の『モニカ』の話ですが……」
「はい?」

 明かりを点けてくれたマキウスは、モニカに背を向けたまま話し出した。

「つまりは、私は振られたと思っていいんですね? 『モニカ』が好きだったのは、リュド殿だったということは」
「そ、そうなりますね……」

 くるりと振り返ったマキウスは、どこか心に穴の空いたかの様に、喪失感を含んだ悲しい笑みを浮かべていた。

「これで、私は気兼ねなく、貴女に愛を囁いていいという訳ですね」
「それは、どういう意味ですか……?」

 そう言って首を振ったマキウスは、今の顔は見間違いだったのかと思えるくらい、いつもの冷笑にも見える顔に戻っていた。

「私は少し自室で用事を済ませてきますが、モニカはどうしますか?」
「私は読書をしてから休みます」

 モニカはベッド脇のテーブルに置いていた読みかけの動物図鑑を手に取ると、マキウスに見せた。

「それは……動物図鑑ですか?」
「以前、マキウス様が勧めてくださったので、書斎から借りてきました」

 以前から、時間がある時には、この世界に関する本を少しずつ読むようにしていた。
 この世界でモニカとして生きていく以上、この世界や前の世界との違いについて、もっと知っておくべきだろうと思った。
 マキウスの妻として、ニコラの母親として、恥じない人間になる為にもーー。

 元々、読書自体は嫌いではなく、書斎の静謐な空気も好きだった。
 モニカになったばかりの頃、マキウスから書斎は自由に出入りしていいと言われたので、たまにニコラが昼寝をしている時に出入りをして、本を借りて読んでいた。元の世界ではなかなかお目にかかれない皮張りの本を数多くあり、まるで古き良き時代の小さな図書室のようだと感動したものだった。
 マキウスに聞いたところ、ほとんどの本がブーゲンビリア侯爵家ーーマキウスの父親の遺品、を分けて貰ったのだと教えられた。皮張りの本は貴族向けの高級品の為、庶民を始めとする貴族以外の者たちはなかなか購入出来ないとも言われて、さすがは貴族だと感心したものだった。
 最初こそ、育児に関する本ばかり読んでいたが、最近では育児だけではなく、歴史、マナー、地理、生物、生活、魔法など、多岐に渡って、本を読んでいた。

「私の世界にいたのと同じ動物でも、ここでは名前が違っているので、読んでいて勉強になります」

 モニカの言葉が嬉しかったのか、マキウスは口元を緩めると、「そうですか」と頷いたのだった。

「私は沐浴もしてくるので、遅くなるかもしれません。その時は先に休んで下さい」
「わかりました。私は先に済ませていたので、眠くなったら先に休んでいます」

 この世界には、お風呂なるものはないらしい。
 バスタブらしき箱の中に湯を入れてもらい、そこに入る。
 本来であれば同性の使用人が、湯の用意だけではなく、身体や髪を洗ってくれるらしいが、モニカもマキウスも自分で洗っていた。

 最初は他人に洗ってもらうということに戸惑いを感じたが、慣れてしまえば平気だった。
 ただ、屋敷内の使用人の数が少ないのに、モニカの沐浴に付き合わせるのは気が引けて、最近は用意と片付けだけお願いして、一人で入るようにしていた。ーーそれでも、未だに「モニカ」の豊乳な胸を始めとする端麗な身体を、直視出来なかったが。

「それとも、一緒に入りますか?」
「それって……」
(どうしよう。お風呂のことだよね!?)

 モニカが耳まで紅潮してたじろいでいると、マキウスは吹き出した。
 そして「冗談です」と、笑ったのだった。

「いつもより早く貴女との時間が出来たので、一緒に過ごしたいと思っただけです」
「もう……」
「貴女に嫌われたくないですからね。一緒に沐浴するのは、また別の機会ということで」

 マキウスの言葉が嬉しいような、悲しいような。
 そんな気持ちにモニカがなっていると、「ですが」と、マキウスは続けた。

「貴方と二人きりで過ごしたいと思ったのは本当です。早く野暮用を済ませて、戻ってきます」

 マキウスが寝室から出て行くと、モニカはベッドに倒れたのだった。

「マキウス様も冗談を言うんだ……」

 静かな部屋に、モニカの呟きだけが響いたのだった。