(マキウス様に連れて来られなければ、決して知ることなかった。私、今でも充分、贅沢な暮らしをしていたんだ)

 傍らのマキウスを見上げる。マキウスはこの場所を知っていた。モニカが使用人たちに囲まれて、飢えることない生活を送っている間も、常に清潔な身体を保ち、綺麗なドレスを着ている間も、騎士であり貴族でもある彼はこの場所を考えていたのかもしれない。
 ドブ川でゴミを漁る子供たちや貧民街の者たちのことを……。

(何も知らなかった。貴族がいて、平民がいる身分社会の国なら、こんな場所があって、最下層で苦労している人たちだっているはずなのに……)

 少し考えればわかるはずだった。
 ヒエラルキーの中にいる最下層の人たちのことを。
 富める者がいるなら、その反対に貧しい者たちが存在することを。

(全く知らない人がこの光景を見たら、きっとショックで倒れちゃう。自分が知らない、認めたくない光景が目の前に広がっているから……)

 もしかして、とモニカは気がつく。
 孤児だったという「モニカ」は、この光景を知っていたかもしれない。
 レコウユスも同じかはわからないが、それでもヒエラルキーの最下層に住む人々がいることは知っていただろう。

 けれどもここにいるモニカは、孤児だった「モニカ」ではない。異なる世界から来た「モニカ」であり、その「モニカ」がこの光景を知っているとは限らないから。

 それもあって、マキウスはここに連れて来たくなかったのだろうか。
 治安が悪く、知らない世界を前に、モニカがショックを受けると分かっていた。モニカから言わない限り、気を遣って黙っているつもりだったのだろう。
 橋の上に来るとマキウスは立ち止まって、川下の子供たちを見つめたのだった。

「強き者がいれば弱き者がいるように、富める者がいれば貧しい者がいます」

 マキウスはひび割れ、汚れている橋の袂に触れた。
 モニカも白手袋の指先でそっと触れてみると、真っ白だった指先はすぐに黒くなってしまった。

「そんな貧しい者たちが生活出来るようにするのも、我々貴族の役目です。ですが、全ての貴族がそうではないことも事実です」

 マキウスは橋の袂に触れていた手を、手が白くなるくらい強く握りしめていた。

「そんな環境を改善しようと、今の国王の代から、貧民街の支援を始めることになり、そこに一部の王族や貴族、騎士が貧民街の支援に名乗り出ました。私や姉上も同じです」

 マキウスやヴィオーラを始めとする国王に賛同している者たちは、貧民街を改革しようとしていた。
 住みやすい環境にする為に、貧民街の清掃に乗り出し、飢える者たちに食料支援をして、孤児に衣食住と学ぶ機会を与え、職のない者に仕事の斡旋をした。
 騎士団の巡回を強化する形で、犯罪を減らそうとしていた。