それから、御國が旦那様を待っていると俄かに廊下が騒がしくなった。
(もしかして!)
御國はベッドから起き上がると、一目散に部屋から飛び出したのだった。
「すっかり遅くなりましたね……」
「そうですね。ここまで遅くなったのは初めてではないでしょうか。特にニコラ様が生まれてからは」
御國が玄関ホールに向かうと、階下には外套を持った使用人と、騎士団の制服の襟元を緩めた旦那様が話しているところだった。
「皆はもう休みましたか?」
「はい。私とペルラ以外の使用人は下がらせました。ニコラ様は乳母が見ています。モニカ様は……」
「旦那様!」
この時の御國は、旦那様のことで頭が一杯になっていて、モニカらしくするなど何も考えられなかった。
階段を駆け降りてきた御國を、二人は目を丸くして見ていたのだった。
「モニカ? まだ起きていたんですか?」
「は、はい……」
答えようにも、激しい運動をしたからか、階下に降りた途端に息を切らしてしまった。
階下の床に座り込み、肩で息をしながら何度も頷いていると、慌てたように旦那様が駆け寄って来たのだった。
「モニカ! 一体、どうしたんですか……!?」
御國は旦那様に縋りついた。
「良かったです! 私、私……。旦那様が事故に遭われたのではないかと、心配で、心配で……」
「モニカ……」
旦那様はなぜ御國が知っているのかと使用人を睨むが、使用人は申し訳なさそうに首を竦めていることしか出来ないようだった。
旦那様は縋りついていた御國を、抱きしめようか迷い、手を伸ばした。
けれども、途中で止めると、御國を自分から離したのだった。
「私は何ともありません。帰りが遅くなったのは、事故の対応に追われていたからです」
「事故の?」
旦那様によると、王都の中心部で数台の馬車が絡んだ事故が起こったとのことだった。
その際、馬車に乗っていた人間や御者だけではなく、転倒した馬車や、近くの馬車を引いていた馬が興奮して暴れ出しことによって、周囲にいた人間をも巻き込んだ大事故となったらしい。
「そ、そうだったんですね……」
早とちりして、顔を紅潮させた御國に対して、旦那様は息を吐いたのだった。
「貴方に連絡を入れなかったことはお詫びします。私も急いでいたこともあり、使用人に簡単にしか知らせていなかったですし」
「いえ、そんな……。何ともなかっただけ良かったです。馬車の事故があったと聞いて、もし旦那様が巻き込まれていたらと、心配に思っただけですので……」
「それでも、こんな夜更けまで私を待たずともいいでしょう。部屋まで送ります」
「さあ」と、旦那様は腕を取って立ち上がらせると、御國の歩調に合わせて部屋まで連れて行ってくれたのだった。
旦那様は部屋の前まで来ると、御國の腕を離した。
「今度からは私の帰りが遅くなりそうだったら、先に寝て下さい。貴女は病み上がりであり、ニコラの母親なんです」
「はい。すみません……」
御國が「おやすみなさい」と旦那様に言いながら、部屋の扉を開けようとすると、旦那様の手がドアノブを掴む御國の手を掴んできた。
大きくて、温かい手であった。
顔を上げると、「ところで」と言って、旦那様は顔を覗き込んできたのだった。
「モニカ。最近、何か隠しごとをしていませんか?」
「えっと……。隠しごとですか?」
御國の背中がヒヤリとした。顔が引き攣るのを感じていた。
「き、気のせいですよ。私は何も隠していません。きっとお仕事が忙しいので、疲れて思い違いをされているだけです」
恐る恐る頭一つ半、背の高い旦那様を見上げた。
旦那様は何か言いたげな顔をして、じっと御國を見つめていたのだった。
「……そうですか。お時間を取らせました」
それだけ答えると、旦那様は手を離したのだった。
今度こそ御國は部屋に入ると、扉を閉める前に旦那様に振り返ったのだった。
「おやすみなさいませ。旦那様」
「おやすみなさい」
そうして、御國は静かに扉を閉めたのだった。
扉が完全に閉まるまで、旦那様はただじっと御國を見つめていたのだった。
(もしかして!)
御國はベッドから起き上がると、一目散に部屋から飛び出したのだった。
「すっかり遅くなりましたね……」
「そうですね。ここまで遅くなったのは初めてではないでしょうか。特にニコラ様が生まれてからは」
御國が玄関ホールに向かうと、階下には外套を持った使用人と、騎士団の制服の襟元を緩めた旦那様が話しているところだった。
「皆はもう休みましたか?」
「はい。私とペルラ以外の使用人は下がらせました。ニコラ様は乳母が見ています。モニカ様は……」
「旦那様!」
この時の御國は、旦那様のことで頭が一杯になっていて、モニカらしくするなど何も考えられなかった。
階段を駆け降りてきた御國を、二人は目を丸くして見ていたのだった。
「モニカ? まだ起きていたんですか?」
「は、はい……」
答えようにも、激しい運動をしたからか、階下に降りた途端に息を切らしてしまった。
階下の床に座り込み、肩で息をしながら何度も頷いていると、慌てたように旦那様が駆け寄って来たのだった。
「モニカ! 一体、どうしたんですか……!?」
御國は旦那様に縋りついた。
「良かったです! 私、私……。旦那様が事故に遭われたのではないかと、心配で、心配で……」
「モニカ……」
旦那様はなぜ御國が知っているのかと使用人を睨むが、使用人は申し訳なさそうに首を竦めていることしか出来ないようだった。
旦那様は縋りついていた御國を、抱きしめようか迷い、手を伸ばした。
けれども、途中で止めると、御國を自分から離したのだった。
「私は何ともありません。帰りが遅くなったのは、事故の対応に追われていたからです」
「事故の?」
旦那様によると、王都の中心部で数台の馬車が絡んだ事故が起こったとのことだった。
その際、馬車に乗っていた人間や御者だけではなく、転倒した馬車や、近くの馬車を引いていた馬が興奮して暴れ出しことによって、周囲にいた人間をも巻き込んだ大事故となったらしい。
「そ、そうだったんですね……」
早とちりして、顔を紅潮させた御國に対して、旦那様は息を吐いたのだった。
「貴方に連絡を入れなかったことはお詫びします。私も急いでいたこともあり、使用人に簡単にしか知らせていなかったですし」
「いえ、そんな……。何ともなかっただけ良かったです。馬車の事故があったと聞いて、もし旦那様が巻き込まれていたらと、心配に思っただけですので……」
「それでも、こんな夜更けまで私を待たずともいいでしょう。部屋まで送ります」
「さあ」と、旦那様は腕を取って立ち上がらせると、御國の歩調に合わせて部屋まで連れて行ってくれたのだった。
旦那様は部屋の前まで来ると、御國の腕を離した。
「今度からは私の帰りが遅くなりそうだったら、先に寝て下さい。貴女は病み上がりであり、ニコラの母親なんです」
「はい。すみません……」
御國が「おやすみなさい」と旦那様に言いながら、部屋の扉を開けようとすると、旦那様の手がドアノブを掴む御國の手を掴んできた。
大きくて、温かい手であった。
顔を上げると、「ところで」と言って、旦那様は顔を覗き込んできたのだった。
「モニカ。最近、何か隠しごとをしていませんか?」
「えっと……。隠しごとですか?」
御國の背中がヒヤリとした。顔が引き攣るのを感じていた。
「き、気のせいですよ。私は何も隠していません。きっとお仕事が忙しいので、疲れて思い違いをされているだけです」
恐る恐る頭一つ半、背の高い旦那様を見上げた。
旦那様は何か言いたげな顔をして、じっと御國を見つめていたのだった。
「……そうですか。お時間を取らせました」
それだけ答えると、旦那様は手を離したのだった。
今度こそ御國は部屋に入ると、扉を閉める前に旦那様に振り返ったのだった。
「おやすみなさいませ。旦那様」
「おやすみなさい」
そうして、御國は静かに扉を閉めたのだった。
扉が完全に閉まるまで、旦那様はただじっと御國を見つめていたのだった。