翌朝。店が開店する一時間前の午前十時。

「おはよう、おっかさん」

「おはよう、明日香。昨日の夜は、よく眠れた?」

「うん、まあ……」

 明日香と紗代は、あらいぐまの店内で喧嘩後に初めて顔を合わせていた。
 クールダウンの時間を挟んだとはいえ、ふたりの互いに対する態度は、まだぎこちない。
 そんな親子の様子を、志希と荒熊さんはカウンターの中から見守っていた。
 志希たちが見つめる中、まずは明日香が口を開く。

「おっかさん、ごめん。あたし、昨日の夜、おっかさんが荒熊の旦那に話してたこと……聞いてた」

 明日香が盗み聞きしていたことを告白すると、紗代は「そう……」と短く応じた。
 紗代の反応を受け止めながら、明日香は続ける。

「おっかさんが落語を遠ざけた理由はわかった。――でも、ごめん。あたしは、やっぱり落語を捨てられない。おっかさんにも捨ててほしくない。あたしは……おっかさんも落語も好きだから」

 そう言って、明日香はニッと笑った。

「その顔、お父さんそっくりね」

 明日香の笑顔に、紗代は肩の力が抜けた様子でフッと笑う。どうやら一晩の時間を置いたことは、一定の効果があったようだ。
 そして、おそらく母が笑うところを久しぶりに見たのだろう。明日香の方もうれしそうに瞳を輝かせている。

「でも……ごめんなさい。私は、まだ心の整理をつけられないの……」

 だが、笑顔がふたりをつないだ時間は、実に短いものだった。悲しげに目を伏せ、自分を抱くようにした紗代が、震える声で言う。

「昨晩、店長さんと話して、一晩ひとりで考えて、私も反省した。もう、あなたに落語をやめろとは言わない。けど、私の方は時間をちょうだい……」

「おっかさん……」

「ごめんなさいね、明日香。弱い母親で……。本当に、ごめんなさい……」

 何度も「ごめんなさい」を繰り返す紗代。その姿は、まるで迷子になってしまった小さな子供のようにも見えた。
 そんな母を前に、明日香はゆっくりと首を振る。