「紗代さんのご事情は、よくわかりました」

 志希と明日香は、再びカウンター席の方へ注意を向ける。
 ふたりの視線の先で、荒熊さんは縋るような目の紗代に語り掛けた。

「一晩、明日香ちゃんを預からせてくれませんか? 今はあなたにも明日香ちゃんにも、落ち着くための時間が必要かと。うちには僕らよりも歳が近い志希ちゃんも住み込んでいますから、明日香ちゃんも安心できると思いますよ」

 荒熊さんからの提案に、紗代は何かを言おうと口を開きかける。
 しかし、それを途中で諦め、代わりに「そうかもしれませんね……」と表情で呟いた。

「確かに、ここで明日香を連れ帰っても、また喧嘩になってしまいそうです。私たちには……いえ、私には、少し頭を冷やす時間が必要なのかもしれません」

 紗代は、冷めてきたコーヒーに口をつけ、話して乾いた喉を潤す。

「わかりました。それではご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、一晩、明日香のことをお願いします。明日の朝、迎えに来ますので」

「はい、お待ちしております。紗代さんも、今夜はゆっくり休まれてください」

 荒熊さんがぺこりと頭を下げると、紗代は困ったように笑って会釈を返す。そして、コーヒーの御代を払おうと財布を取り出すが――。

「ああ、御代は結構ですよ。今回は、サービスです」

「そうですか。ありがとうございます。では、甘えさせていただきます」

 お礼を言って財布をしまった紗代は、そのままカウンター席を立つ。彼女は荒熊さんへもう一度会釈をして、店を出ていった。
 紗代が去っていき、店の中はシンと静まり返った。

「さてと……志希ちゃん、明日香ちゃん、そろそろ出てきていいよ」

 不意に荒熊さんが、志希たちの隠れている辺りに向かって声を掛けてきた。どうやら、盗み聞きしていたのはずっとバレバレだったようだ。