ただまあ、こんな躱され方をしている紗代は、フラストレーションが溜まる一方のようで……。カウンター席にあるシュガーポットがカチカチと揺れる勢いで、テーブルを叩いた。

「あなたのやっていることは誘拐と同じですよ。今すぐ警察に通報しましょうか?」


 ここまでずっとがなり立てていたのから一転、怒りを押し殺したような低い声でそう言い放ち、紗代は荒熊さんを真正面から睨む。

 ついに紗代が切り札を切ってきた、と志希は思った。昼間、志希は紗代のこの言葉と視線に耐えられず、為す術なく立ち尽くしてしまった。

 果たして、荒熊さんはどうか。

 志希が心配そうに目を向けると、最近太り気味でタプタプしてきた顎に小さな手を当てた荒熊さんが悩ましげに「む~」と唸っていた。


「それは困りますね。こちらも客商売ですし、警察沙汰は避けたいです」


「でしょうね。わかっていただけたなら、早く明日香を――」


「ですが、昼間のあなたがやっていたことも虐待スレスレですよ。そちらが警察というのなら、こちらも児童相談所へ通報いたしましょうか」


「――っ! それは……」


 油断したところに荒熊さんの思わぬ切り返しで、紗代がたじろぐ。

 おそらく、荒熊さんはこれを狙って、一度悩むような素振りを見せたのだろう。こちらも誘拐と言われては反論できない状況下でしっかり罠を張るのだから、この神様も人が――いや、アライグマが悪い。

 それと同時に、志希は少しだけホッとした。なぜなら、虐待と聞いて紗代がしっかり動揺してくれたから。

 紗代自身も、自分がやったことが行き過ぎた行為であったという自覚はあるのだ。

 それならば、まだやり直しがきくかもしれない。紗代と明日香は、まだ父親が生きていた頃の――仲が良かった頃のふたりに戻れる可能性がある。