「……おっかさん、家に帰ったらすぐに『二度と落語をやるな!』って叱ってきてさ。もちろん、あたしは『いやだ!』って抵抗して……。その後はもう怒鳴り合いの大喧嘩だよ。そしたらおっかさん、おとっさんが買ってくれたこの本と扇子を捨てるって取り上げようとしてきてさ。だからあたし、もう我慢できなくて……」

「家を飛び出しちゃったってわけか」

 本と扇子を守るようにギュッと抱いた明日香が、荒熊さんの言葉に頷く。

「ごめんね、旦那、姐さん。二人に迷惑を掛けちまうってわかっているのに、ここに戻ってきちまって……。でも、他に行くところが思いつかなくて……」

「まあ、そこは気にしなくていいよ。明日香ちゃんには、いつもお世話になってるからね。これくらいのこと、別に迷惑だなんて思わないよ」

 俯く明日香へ、荒熊さんが気楽に笑ってドンと胸を叩く。どうやら明日香をかくまう気満々のようだ。先程は志希が明日香を助けに行くことを窘めていたが、結局のところ荒熊さんも、明日香に手を差し伸べるつもりだったということだろう。

「私が助けに行こうとした時は止めたじゃないですか。荒熊さんは、あっさり助けちゃうんですね」

「僕は、『助けちゃいけない』なんて一言も言ってないよ。ちゃんと覚悟しようね、って話をしただけ。それとも、志希ちゃんはかくまうの反対?」

「いいえ、大賛成です。覚悟は、もうできましたから」

 明日香に聞こえないくらいの声で、志希と荒熊さんがこっそり素早く言葉を交わす。そんなふたりの表情は、いたずらをする子供のようだ。
 ともあれ、俯いたままの明日香に、荒熊さんが「ねえ、明日香ちゃん」と声を掛けた。