明日香はもはや涙目で、背筋を伸ばしたまま震えている。不意打ちのような形の中、これだけの剣幕で怒鳴りつけられたのだ。委縮して、何も言えないまま怯えてしまうのも、無理はない。


 実際、志希も自分が怒られているわけではないのに、まったく体が動かない。明日香をかばってあげたいのに、声を出すことさえままならなかった。

 しかし、明日香の母親の怒りはこの程度では納まらない。


「会社の人から聞いたわよ。昨日、あなたがここで落語を披露していたって。家で落語のことを言わなくなったと思ったら、こんなところで隠れてコソコソと……。ふざけるのもいい加減にしなさい!」


 明日香の母親の怒声で、志希はこの“最悪のきっかけ”がどうして生じてしまったのかを覚った。


 どうやら昨日いらっしゃった一見さんたちは、明日香の母親の同僚だったようだ。何という間の悪い偶然だろう。

 明日香が同僚の娘だと気が付いたあのお客さんたちは、店でのことを明日香の母に話したというところだろうか。志希が見た限り、あの方々は明日香の落語に感心していた様子だったから、それは告げ口などではなかったのかもしれない。もしかしたら、純粋に明日香のことを褒めていたのかも……。


 しかし、明日香の母親は、明日香に落語をやめさせたがっていると聞く。伝え方はどうあれ、それは彼女をただいたずらに怒らせる結果となって、こうして今に至ってしまったわけだ。

 明日香の母親は、黙ったまま震えている明日香の肩を乱暴につかむ。


「黙っていないで、何か言ったらどうなの! 本当にあなたは、余計なことばかりして――」


「お母さん、ストップです。ちょっと落ち着きましょう」


 今にも泣き出しそうな明日香を叱責する母親に、冷静な声が待ったをかける。

 声の主は、荒熊さんだ。荒熊さんは、普段と違って毅然とした態度で怒り狂う明日香の母親と対峙する。

 すると、母親の怒りの矛先が、明日香から荒熊さんに変わった。