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「私と妻が出会ったのは……そう、五十年と少し前。私がまだ二十歳を少し過ぎた頃のことだったよ」

 そう言って源内が語ったのは、半世紀以上前のとある春の日の出来事だ。当時、勤めていた会社の花見大会に出席するため、源内は隣町の公園へ行ったらしい。

「その日は、桜が満開を迎えた直後でね。たくさんの人が晴れた空の下、咲き誇る桜を肴に騒いでいた。――ただ、そんな中でひとりね、桜並木を外れたところにポツンと立っている梅の木を見上げ、その花を愛でている女性がいたんだ」

 それが妻だった、と源内は微笑む。

「私はその人のことが気になってしまってね。声を掛けたんだ。『梅の花、好きなのですか?』とね。そうしたら彼女は、『ええ、とても。だって、私の名前の由来となった花ですから』と微笑みながら答えてくれた。もうその瞬間、一目惚れだったよ」

 源内の頬が、朱色に染まる。少し照れているらしい。
 そんな源内の初々しさが、志希には微笑ましかった。
 源内の話の続きを聞くと、それから彼は奥さんに猛アタックを仕掛けたらしい。奥さんの方も源内の情熱に負け、二人は付き合い出したそうだ。そして数年後、晴れて二人は結婚し、夫婦となった。

「妻と付き合い出してからはね、毎年、出会った梅の木の下で花見をするようになった。満開の桜ではなく一本だけの梅を見に行く私たちは、さぞかしおかしなカップルだっただろうね」

 当時の自分たちのことを思い出したのだろう。源内がクスクスと忍び笑いを漏らす。

「そうそう、銀婚式の時には、妻に万葉集を送ってね。製本家に表紙を改装してもらった特注品で、妻は大層喜んでくれて……。それからは、花見に毎年その本を持っていくようになって、二人で読むようになったんだ。今にして思えば、より一層おかしなふたりになっていたかな」

「そんなことないです! 全然おかしくないですよ!」

 おどけた口調で言う源内に、志希はグッと拳を握り締め、勢い込んで言い募った。