「その梅の枝は……」

「これは、店に戻る途中でもらったものです。店に飾ろうと思いまして」

 志希が梅の枝を源内に向かって差し出す。
 そうしたら、荒熊さんも興味を持ったのか、カウンターの向こうから身を乗り出して、「へえ、きれいだね」と笑った。

「……万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし」

「へ?」

 不意に和歌を詠んだ源内に、志希はきょとんと首を傾げる。
 そんな志希の様子に、源内は「ああ、すまない」と苦笑した。

「梅の花を見ていたら、ふとに思い出してしまってね。つい詠んでしまった」

「確か、万葉集の和歌でしたね。どれだけの年月が経っても、梅の花は絶えることなく咲き続けるだろう、といった意味の……」

 荒熊さんが歌の意を思い出すように呟くと、源内はコクリと頷いた。

「妻が好きだった和歌なんだ。自分の名前の由来になったものだと言って……」

 懐かしそうに目を細め、源内は遠くを見つめるように言う。
 その言葉と態度に、志希は思わず息を呑んで口を噤んでしまった。
 源内の過去を思い出すような表情と「好きだった」という言葉――。おそらく源内の奥さんは、もう亡くなっているのだろう。
 源内も志希の表情から彼女の考えていることを察したのだろう。すぐに困ったように笑い、「すまないね」と謝ってきた。

「志希ちゃんを落ち込ませるつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、梅の花を見て不意に懐かしくなってしまってね。梅は、妻との思い出の花だから」

 またも懐かしそうな表情で、源内は志希が持つ梅の花を見つめる。
 思い出の花。きっとその一言では語り尽くせないたくさんの思い出が、源内の中に溢れているのだと、志希は思う。
 すると、不意にカウンターの向こう荒熊さんが、源内に「もしよろしければ……」と声を掛けた。

「もしよろしければ、聞かせてくれませんか。奥さんとの思い出を」

「……そうだね。たまには、自分のことを語るのもいいかな」

 おそらく源内も、少し語りたい気分だったのだろう。そう言った源内は、温くなったコーヒーを一口含んで語り始めた。