全部全部、志希の記憶にある光景。記憶にある母の笑顔だ。
 今なら自分の弱さにも負けずに自信を持って言える。自分は、母に愛してもらえていたのだと――。

「なるほどね。志希ちゃんが『大好き』って言うのがよくわかる。いいお母さんだ」

「はい。本当に私にはもったいない、自慢のお母さんです」

 荒熊さんの言葉に、志希は今度こそはっきりと頷くことができた。

 そして場面はさらに変わり、一年前のとある夜。
 志希はすでに眠っているのか、絵本が置かれた居間には母ひとりだけ。
 母は父の遺影をテーブルに置き、その前にビールが注がれたコップを置く。

『拓真、志希が高校三年生になったよ。あんたが死んで十二年。本当にあっという間だった』

 自分の分のビールが入ったコップを呷りながら、母は天国の父へ報告するように言う。父の遺影を見つめる母の顔は、とても穏やかだ。
 ただ、その穏やかだった顔が、不意に不安で彩られた。