「アレは一体、何なんだ?」
 アレと呼ぶ以外に思い付かなかった。窓越しに、人間の形をしたものが見える。でも、それが人間だとは信じられない。
 ただそこにアレがいるだけで、風圧にも似た思念の圧力で、吹き飛ばされそうだ。
 煥《あきら》が吠えた。
「許さねえッ!」
 立ったと思った次の瞬間には飛び出して、海牙に殴り掛かっている。拳の正面に白い光の板。海牙は三日月刀でそれを受ける。強化されたブレードと超常的な光の板の間に、火花が散る。
 海牙が怒鳴った。
「なぜぼくを! 撃ったのはぼくじゃないでしょう!」
「テメェが目の前にいるからだ! 一人ずつ、全員倒す!」
「ああもう、いちいちこんな頭の悪いことを。邪魔しないでください!」
「うるせえ!」
 めちゃくちゃな速さと勢いで、煥と海牙の戦闘が展開される。
 煥のチカラ、白い光の板は、大きさも出没も自在の障壁《ガード》だ。対象を焼き焦がすって作用は副次的なものらしく、煥は攻撃目的では光を出そうとしない。
 チカラによらなくても、煥は強い。煥の攻撃手段は武術だ。殴ったり蹴ったりだけじゃなくて、膝だの肘だの肩だの、骨が出っ張って硬い部分はどこでも武器になるらしい。
 海牙は異様に柔軟な動きで、煥の攻撃を牽制する。長い手足が鞭のようにしなって、三日月刀の軌道がまったく読めない。それでも煥にダメージを与えることができず、間合いを探っている。顔にあせりがにじんでいる。
 煥は踏み込む。近ければ近いほど、煥に有利だ。海牙の三日月刀は振るえない。だから海牙は下がる。煥はそれをさせない。
 二人ともまわりが見えなくなってんじゃないか。そんな気がした。何のために戦ってんのか、覚えてんのか?
 鈴蘭がうっとりとした息をついた。
「煥先輩、やっぱりキレイ」
「男に対してキレイって誉め言葉、どうなんだろね?」
「だってキレイですもん。完璧だと思いません? 色のない髪も胞珠も、目鼻立ちも。切れ長な目元なんて、本当に最高。でも、あの金色の瞳、なかなかわたしのこと見つめてくれないんです。なのに、ずるいですね、あの黒い胞珠の人」
「ずるい?」
「ずっと煥先輩の視線を独占してる。あんな強いまなざし、どれだけ美しいんだろうって想像したら、あの人、ずるすぎて憎いくらいですね。死ねばいいのに」
 おれは笑った。
「きみ、わかりやすくていいね~」
「だって、ほしいものはすぐ手に入れなきゃ。いつ死んじゃうか、わからないんですよ。それに、強い思念を込めて願えば、この胞珠がエネルギーを増幅させて、願った未来を引き寄せるっていうでしょ? だからわたし、願うの。煥先輩がほしいって」
 その言葉、どこかで聞いた気がする。
 強い思念を込めて願えば、胞珠が叶えてくれる。ただし、相応の何かを代償にしなければならない。
 額が割れるように痛むのを覚えている。流し込まれた願いの大きさに拒絶反応を起こして、吐いて泣いて叫んで騒いで、押さえ付けられて殴られて朦朧《もうろう》として、薬を打たれる。胞珠さえ使えればこいつの意識も人格も必要ないんだと、冷たい声が降ってくる。
 朱くきらめく珠のチカラがただ怖かった。そのきらめきが自分のものだと知って吐き気がした。こんなもんと一生、おれは付き合っていかなきゃいけない。増幅された思念が浅はかな願いを叶えて……違う、おれはそんなの望んでない、おれじゃないんだ。
 いやおまえが望むべきでおまえの仕事でおまえが一言命じればよかったんだ、それなのにおまえが自分の仕事を拒むから仕方なく別の手段を講じざるを得ない、いつからおまえはそんなに聞き分けの悪い子になったんだろうな、と寂しそうに言われた。
 これは記憶か? おれが経験したことなのか?
 曖昧だ。だって、忘れていいんだって、姉貴が言ったから。
 全部忘れていいのよ。あんたに親なんかいなかった。家族なんかいなかった。全部忘れなさい。その代わり、わたしが、あんたの望む全部になってあげるから。あんたに寂しい思いなんてさせない。
 大丈夫、おれは姉貴さえいればほかに何もいらねーよ。寂しいわけねぇだろ。もう怖くも痛くもねぇし。
 そう言って逃げた。二人で逃げた。
 何から逃げた?
 忘れちまえって、自分に暗示をかけた。胞珠に願って、本気で忘れようとした。だから、大事なことがすっぽ抜けてる。
 おれは誰を相手に戦わなきゃいけないんだっけ?
 どうしよう。何でおれはここにいるんだ?
 もしかして、海牙ってやつ、おれ以上におれのこと知ってんのかな? 海牙の背後に付いてるやつら、おれが忘れてる何かをちゃんとわかってんのかな?
 額の胞珠が痛い。
 混乱している。世界のすべてだった姉貴が死んで、おれは空っぽになったはずなのに、戻らない記憶が荒れ狂う砂嵐になって胞珠の内側を汚していく。
 痛い。
 姉貴が世界のすべて、って。それも胞珠が増幅した思念? あまりにも魅力に満ちた刺激的な禁忌だったから、おれと姉貴にはちょうどよかったのかもしれなくて。
 何かたくさんのモノを捨てて忘れて、おれの中が空洞だ。
 痛い。わからない。
 知るべきだ。知りたくない。
 混乱して、いら立つ。ズキズキ痛む胞珠が、いら立ちをたやすく増幅して、おれの声に憎しみのチカラが満ちる。