始まってしまった戦いは、必ず終わる。
 三度目に「青い月」と歌ったとき、煥先輩を拘束する金色が消えた。煥先輩が歌い終わったとき、小夜子がへたり込んだ。
 小夜子が空っぽな目をして言った。
「わたしは、どこで間違えたの? どのくらい間違えたの? 最初からなの? 好きになってはいけなかったの?」
「そんなことない!」
 小夜子が、ハッとわたしを見た。叫んだのがわたしだと、それで気付いた。
 わたしは小夜子に走り寄った。つまずいて転んで、小夜子と同じように床に座り込む。
「煥先輩を好きになった気持ち、わかるよ。わたしも同じだから。一生懸命に想っても、伝わらない。それも同じだから、わたしにもわかる」
「あなたがそんなこと言うの?」
「わたしだから言うの! 三日間を何度も繰り返して、痛いほどわかった。人を好きになる気持ちがわかった。片想いをして、傷付いて、すごく苦しくて、煥先輩に嫌われてるし、迷ってばっかりで、間違ってばっかりで、恥ずかしいことばっかりで……」
 後先考えずに放った言葉は、やっぱり迷子になる。
 小夜子がわたしを見つめて、そして、目をそらした。
「あなたのこと嫌いよ」
 嫌われても仕方ない。でも。
「わたしは小夜子に憧れたよ。嫉妬するくらい憧れた。まっすぐなところ、うらやましいと思った」
 長江先輩と海牙さんもこっちへやって来た。警戒する距離をとって、ツルギを油断なく握りながら。
 さて、と長江先輩が口にした。
「そろそろケジメをつけよっか? きみもほんとはわかってんでしょ? こんなやり方じゃ、あっきーが手に入らないってこと。因果の天秤ってやつを狂わせた罪、軽くないよ?」
 海牙さんが、乱れた髪を掻き上げる。
「思考実験をしてみましょうか? 仮に、煥くんがきみの意に沿わない選択をしたら? きみはまた誰かを刺して、時間を巻き戻しますか? 煥くんを思いどおりに動かすまで、何度も?」
 小夜子は、人形のようにこわばった頬で海牙さんを見上げた。
「何が言いたいの?」
「人間の精神は案外、もろいんです。煥くんは巻き戻しを記憶している。きみの都合のために巻き戻しを重ねるとして、繰り返すほどに、煥くんの精神には負担がかかり、疲弊して崩壊していく。きみはそのほうがいいのかな。煥くんが壊れれば、意にままに操れるんだから」
 煥先輩は小夜子のツルギを拾い上げながら、しかめっ面をした。
「趣味の悪い話はやめろ。オレを勝手に壊すな」
「ただの仮説ですよ」
「現実味がありすぎる」
「煥くんは繊細ですからね」
 小夜子が煥先輩に問いかけた。
「わたしがその仮説のとおりのことをすると言ったら、煥さんはどう思いますか?」
「あんたを止める」
 即答だった。煥先輩は、ツルギの切っ先をまっすぐ小夜子に向けた。
「止めるって? 殺すって意味ですか?」
「ほかに方法がないのなら、殺す。それがあんたのためにもなるだろ」
「わたしはただ……イヤです。煥さんと争うなんてイヤ。わたしだけ見てほしい。それだけなの。ほかに何もいらないの。わたし、わたしは、だけど……嫌わないでください。お願い……」
「嫌ってねぇよ」
「でも、あなたはわたしを否定しました」
「あんたを否定したんじゃなくて、あんたの選択を否定したんだ。誰だって、おかしな間違いを仕出かすことくらい、あるだろ。そんなんでいちいち人を否定したり嫌ったりしてたら、生きづらくてしょうがねえ。鈴蘭も」
 いきなり名前を呼ばれて、わたしは息を呑んだ。
「な、何ですか?」
「オレはあんたを嫌ったことなんかない。亜美さんの件では腹が立ったけど、そんだけだ。引きずってねぇよ」
 わたしは泣きたくなった。小夜子も泣きそうな顔をしていた。
 少しの間、誰も何も言わなかった。
 やがて、煥先輩が沈黙を埋めた。ツルギの切っ先を小夜子に据えたまま、煥先輩は、透明な声で突き放した。
「不死《エターニティ》にしがみつくなよ。手放せばいいだろ、そんなもん。終わりがあるから、人は必死になれる。あんたがどうしても迷うってんなら、オレがやってやる」
 ああ、と長江先輩が顔をしかめた。
「あっきー、それを願うつもり?」
「理仁《りひと》は反対か?」
「いや……やっていい。やる価値はあると思うよ」
 ザワッと、背筋が粟立った。悪寒の正体は、ハッキリとはわからない。でも、煥先輩の横顔から覚悟が見て取れる。決意が必要なことをしようとしている。
「煥先輩、何をするつもりなんですか?」
 一瞬、煥先輩はわたしを見た。金色の視線はすぐに小夜子へと戻された。
「失敗したら、そのときはオレが全部、背負う」
「役割を果たすんですか? 煥先輩がやるの?」
 小夜子が張り詰めた目をしている。大好きな人にツルギを向けられて、小夜子は追い詰められて声もない。
 煥先輩が、ささやく声に願いを込めた。
「月聖珠に願う。オレの声に応えろ」
 月が、一条の光を煥先輩に差し伸べる。煥先輩の手で、小夜子のツルギが輝き出した。煥先輩は深呼吸して、告げた。
「月聖珠の預かり手を地上から解放しろ。代償は、そのチカラそのもの。不死《エターニティ》は地上にあっちゃいけない。死なないのは、生きてないのと同じ。耐えられるやつなんていない」
 ヒュッと風が鳴った。ツルギがひらめいた。
 煥先輩が小夜子の胸を貫いた。
 代償が差し出されて、月聖珠が願いを聞き入れる。
 違反者が命を落として、四獣珠の役割が果たされた。
 運命の一枝が、最後の巻き戻しを起こした。因果の天秤が均衡を取り戻す。


座標
G(学園屋上,4月17日21:13,玉宮小夜子)

A(鈴蘭自宅,4月15日6:40,夢中流血)