兄貴が「さて」と言って、安豊寺に向き直った。
「意外な組み合わせだね。確か、安豊寺鈴蘭さんだったかな?」
「は、はい」
「学校には、もう慣れた?」
「おかげさまで」
 安豊寺は、ふわっと笑った。
 この女、笑うのか。しかも、ふわっと。兄貴の前では。
「知り合いなのか、兄貴?」
「前に、ちょっとね」
 兄貴は適当に濁した。でも、安豊寺が顔を赤くしながら説明した。
「四月に、わたし、校内で迷ってて、生徒会長に助けていただいたんです」
「助けたなんて大げさだよ。おれのこと、すぐに生徒会長ってわかってくれたよね。あれは地味に嬉しかった」
「入学式でのお話、印象に残ってました。わたしも生徒会に入りたくなったくらいです」
 だまされてる。兄貴の外ヅラに、完璧にだまされてる。兄貴も相当ケンカっ早いんだぞ。
 兄貴がチラッとオレを見た。つられる形で、安豊寺もオレを見る。
「煥はおれの弟なんだ。ひょっとして、知らなかったかな?」
 安豊寺の表情が変わった。青い目が、すぅっと冷たくなる。嫌われてるらしい。
「知りませんでした。そういえば、同じ苗字ですよね。伊呂波って珍しいのに、気付かなくて。だって、全然、似てませんから」
 顔も骨格の感じも、実はかなり似てるんだが、似てるとは言われない。
 似てない理由は、兄貴は長身でオレは普通くらいだから、とかじゃなくて、オレの銀色の髪と金色の目のせいだ。笑わないせいと、人嫌いのせいだ。冷たいとか怖いとか無愛想とか評される、オレの非社会的な性格のせいだ。
「鈴蘭さん」
 兄貴が安豊寺を呼んだ。安豊寺は少し慌てたそぶりを見せた。
「あ、は、はいっ。何でしょうかっ?」
「煥が失礼なことをしたかもしれない。ごめんね。ただ、煥にも事情があるんだ。おれに免じて、煥を許してやってほしい」
「免じて、って生徒会長に言われたら……」
 いいえ許しません、とは応えられない。だよな? たいていの女はそうなると思う。安豊寺も例外じゃないようだし。
 兄貴がこっそりオレに目配せした。厄介ごとは片付けてやったぞ、って? あー、はいはい。感謝してるよ。じゃあ、ついでに、もう一人のほうもどうにかしてくれよ。
 壁際でじっと立ち尽くしてるそいつは、さっきから一言も口を利いてない。しゃべり方を忘れたみたいだ。
 オレと目が合うと、そいつは口を開けた。唇が動いた。でも、声が出てこない。
 何してるんだ? 遊んでるわけじゃないみたいだ。顔をしかめてる。苦しそうというか、悔しそうというか。
 しゃべりたいのに、しゃべれない? いや、でも、声も言葉もちゃんと出るはずだ。さっき、しゃべってたじゃないか。パパだの未来だの、変なことばかり。
 そういえば。
「おい、おまえ、名前は?」
 訊いてなかったよな、確か。向こうはオレの名前を知ってたけど。
 そいつは口を開いた。今度は声が出た。
「師央です。伊呂波師央、十五歳です」
 年齢は訊いてない。すでに知ってるし。
 兄貴が首をかしげた。
「伊呂波? でも、うちの家系じゃないだろう?」
「いいえ、同じ伊呂波家です。ぼくは、信じてほしいんですけど、信じられないかもしれないけど、ぼく、未来からきました」
「未来っ?」
 さすがの兄貴も声がうわずった。それが常識的な反応だよな。でも、師央と名乗ったそいつはめげない。まっすぐな目で兄貴を見つめた。
「ぼくは、伊呂波煥の息子です。だから、あなたは、ぼくの伯父なんです」
 兄貴が、プッと噴き出した。
「伯父、か。確かにね。煥に子どもができれば、おれは伯父か」
「おい、兄貴。信じるのかよ?」
 師央が声を高くした。
「信じてください! ぼくは、未来から、運命を変えるために__! __を、__に、して__っ」
「何を言ってるんだ?」
 師央の口は動いている。でも、声が途切れる。その言葉は禁句だ、というルールが課せられてるみたいに。
 あきらめるようにうつむいた師央は、汚れたシャツの胸ポケットを探った。何かをつかみ出す。そして、手のひらを開いた。
 オレは息を呑んだ。兄貴の表情が固まるのも見えた。
 師央の手のひらの上に載っているのは、純白の宝珠だ。大きくはない。直径は、オレの親指の爪の幅と同じくらい。測ったら、確か、二センチちょっとだった。
「白獣珠が、なぜ?」
 曇りのないメタルが蔓草のように、白獣珠に巻き付いている。金でも銀でもプラチナでもないメタルだ。一部がフック状になっていて、そこに鎖を通して首から提げる。
 首から提げている、はずなんだ。オレは自分の首筋に触れた。金属の鎖が、確かにある。鎖を指に引っかけて、引っ張る。
 ある。オレがいつも身に付けている白獣珠。オレの異能の根源。オレの白獣珠はここにある。だったら、師央の手にあるモノは?
 師央が顔を歪めた。必死な表情だった。
「この白獣珠が証拠になりませんか? これは、未来の白獣珠です。ぼくが未来から持ってきたんです。だから今、この時代に二つある。本来、世界に一つしかないはずの白獣珠が今、現にこうして二つあるんです」
 偽物じゃないのか? と、まず疑うものだろう。ほかの品物なら。でも、白獣珠は別だ。疑う必要なんて、ない。
 感じるから。本物だという息吹、鼓動。二つの気配が、完全に調和している。同じ白獣珠が、ともにここにある。その存在感は、間違いなく絶大で。
 しかも、さっきから白獣珠の様子がおかしい。ひどく熱い。こいつに何かの意志があるのは今までも感じてたが、言葉を聞いたのは初めてだ――因果の天秤に、均衡を。
 どういう意味だ? 白獣珠の本能ともいえそうな何かが、明らかに嫌がってる。師央が現れてから、ずっとだ。こいつのせいで、因果の天秤とやら狂ってんのか?
 オレは、すっと目を細めた。
「おまえ、本当に、何者だ?」
 低く冷えた、切れ味のいい声。自分でもうんざりするくらい、威嚇に向いた声だ。
 師央が涙を浮かべた。へなへなと座り込んだ。
「信じてください、パパ」
 その瞬間。
「ぶっ、くくっ、あははは! パ、パパ! あはははっ、煥が、パパって!」
 兄貴が盛大に笑い出した。
「お、伯父さん?」
「おー、そうかそうか。おれは文徳伯父さんだよな。ちょっ、これ、笑える!」
 腹を抱えて笑い転げる兄貴につられて、師央に笑顔が戻る。見れば、安豊寺も笑ってる。オレだけが取り残されてる。
 とりあえず、オレは白獣珠をシャツの内側にしまった。笑い続ける兄貴に声をかける。
「これからどうするんだ?」
 兄貴は目尻の涙を拭った。泣くほど笑うなよ。
「まあ、鈴蘭さんを家まで送らないとな。それから、師央を連れて帰る」
「は? こんなわけわからんやつを連れて帰る? 理由がわからねぇよ」
 兄貴はサラッと答えた。
「理由? おもしろそうだから、だ」
 うわ。またかよ。オレを厄介ごとに巻き込む、その一言。