海牙が髪を掻き上げた。眉をひそめて口を開く。
「今、運命のこの一枝に、白獣珠はいくつあるんでしょう?」
「海ちゃん、それ、おれも考えてた」
二人のやり取りに、師央が、ひとつ身震いした。
「どういう意味ですか? 白獣珠は、二つじゃないんですか? 煥さんのと、ぼくの」
「ループしているかもしれないんですよ。この一枝、延々とループし続けてるかもしれない。その可能性に、さっき気付いたんです」
「ループって?」
海牙は理仁に目配せした。理仁は、海牙に「どうぞ」とジェスチャーする。海牙が話を続けた。
「煥くんが持っている白獣珠をA《エー》とします。やがて生まれる師央くんが、Aを引き継ぐ。Aを持った師央くんが時間をさかのぼる。過去で出会う煥くんも、白獣珠を持っている。これをA’《エー・ダッシュ》とする。Aのほうは、過去の時点で紛失する。でも、やがて生まれてくる師央くんはA’を引き継ぐ。今度はA’が時代をさかのぼる。Aがどこかに紛失したままでね」
師央が、ふらりとよろけた。
「それが繰り返されてるって言うんですか? ぼくが、時間をさかのぼり続けて、Aの’《ダッシュ》の数が増え続けて、つまり、白獣珠の数が、増え続けていて? でも、おかしいですよ。それじゃ、どこに、そんなたくさんの白獣珠が?」
海牙が、かぶりを振った。
「わからない。曖昧な仮説ですよ。物理的には成立し得ないように思える。でも、原理的に想定することもできる。ただし、もしこの仮説が正しいのなら、危険ですね。この一枝の質量が増え続けているんだから」
師央が、へたり込んだ。
「じゃあ、ぼくは? ぼく自身は、何人?」
海牙が口ごもった。理仁が代わりに言った。
「どこかにいるのかもしれないね。ドッペルゲンガー的に。でもさ、一般的に平和な感じで生きてはいない。だって、師央は未来、見てきてるよね? 自分そっくりの親戚なんて、いないでしょ?」
師央がうなずく。理仁が顔から笑みを消した。
「考えられるシナリオとしてはさ、次はたぶん、師央が死ぬ」
ガン、と頭を内側から殴られたような衝撃。
「ちょっと、待てよ、おい」
自分が死ぬ未来を見たときよりショックだ。師央が、この時代で死ぬ?
「あっきー、おれは今から残酷なこと言うよ。もし、この一枝が師央を軸にループしてるなら、その要因は、あっきーと鈴蘭ちゃんにもある。師央って存在を生まないって選択肢もあるんだよ? でも、二人はそれを選ばない。だから、師央が生まれる。ループが続く。どうしてかな?」
理仁がオレを見る。朱い光を宿す、冷たいほど真剣な目。オレは答えられない。理仁は鈴蘭に視線を移した。鈴蘭が理仁に答えた。
「挑戦するため。今度こそ必ず運命を変えたい、って。だって、わたしは二人を愛するから。その未来が訪れないなんて悲しすぎるから」
理仁は冷静に言った。
「でも、それがループを引き起こす。師央に何度もつらい思いをさせる」
「やめろ、理仁」
「あっきーにも、わかってるはずだ。この一枝は、そろそろマジで異常だよ。最近、しょっちゅう未来が見えるんだ。予知夢ってやつ。昔から、軽~い予知はできてたけどね。勘がいいって程度で。なのに、師央が来てからこっち、本気で変だ。本気でヤバいと思う」
未来が見えるという言葉に、オレの胸に痛みがよみがえる。大切なものを守れない悲しみと、目的を遂げられないまま死ぬ悔しさがよみがえる。
「あっきーも見えてんだ? さっきの言い方からすると、鈴蘭ちゃんもね。わかってんでしょ? これから起こること。師央が確かに経験するはずの不幸。それでもこのまま進もうって思う?」
海牙が静かに言った。
「師央くん、話してくれませんか? いつ、どうして煥くんたちが死ぬのか。なぜきみが時間をさかのぼろうと決心したのか。ぼくがみんなに伝えますから」
師央は力なくうなずいた。唇が動き始める。声はない。海牙は師央の口元を、じっと見ている。
オレは壁にもたれて目を閉じた。しんとしていた。自分の呼吸の音が、ひどく大きく聞こえた。遠くから、人のざわめきが聞こえる。瑪都流の面々が声をあげているんだろう。
長い時間はかからなかった。師央の弱々しい声が、話の終わりを告げた。
「……これで全部です」
海牙が額を押さえた。
「考え付く限り最悪のシナリオですね。だからこそ質量が大きい。あるいは、ループしながら、より大きく成長しているのかな」
「おい、海牙?」
海牙は目元の表情を隠したまま語った。
「師央くんが産まれるのは、今から四年後、煥くんが二十歳のときです。そして、それから約一年後、師央くんの両親とその友人が死ぬ。つまり、煥くん、鈴蘭さん、ぼくが死ぬ。青獣珠と玄獣珠も奪われる。そこで生き残るのは、師央くんと文徳くん、それと白獣珠」
オレは師央を見た。師央はうなずいて、目を閉じた。目尻に涙がある。海牙は続ける。
「師央くんは文徳くんに引き取られて、襲撃者から隠れながら暮らす。でも、三度、見付かった。一度目は、師央くんが物心つく前。そのとき、文徳くんの親友が死んだ。同時に、朱獣珠が奪われた」
理仁が唇を噛んだ。兄貴の親友ってのは、理仁だ。
「二度目は、師央くんが十歳のとき。この襲撃は、師央くんも記憶している。銃を乱射されて、文徳くんの仲間たちが死んだ」
仲間たちってのは、瑪都流だ。牛富さんや雄が、争いに巻き込まれて死ぬんだ。
「そのとき聞いた言葉がある。襲撃者のリーダーが、文徳くんに言った。古巣からはとっくに離れた、と」
理仁が師央に訊いた。
「その古巣ってのは、KHANって意味?」
師央の唇が動く。声が出ない。もどかしそうに、首筋に爪を立てる。海牙が、かぶりを振った。相変わらず表情を見せない。
「師央くんは、十歳のころにはわからなかった。襲撃者の正体も、なぜ白獣珠が狙われるのかも。今回、やっとわかったんですよ。正木さんの顔を見て、襲撃者のリーダーが正木さんであることを思い出した。そして、襲撃の要因が今この現在にあることもわかった」
理仁が鼻を鳴らした。
「やっぱ、正木ってやつ、ハマっちゃうわけね。白獣珠で願いを叶えて、それが癖になる」
正木はさっき、白獣珠を使った。理仁の号令《コマンド》を解除するために、自分の身が傷付くことを代償にして。
海牙は師央の物語を続ける。
「師央くんが十五歳の春。最後の襲撃があった。文徳くんの一家が殺された。文徳くんは、最期に白獣珠に願った。師央くんと白獣珠を過去に送って、運命を修正する。代償は、文徳くんの命。時間跳躍《タイムリープ》した先もまた襲撃の場で、師央くんは両親と伯父が死ぬところを目撃した」
オレは思わず口を挟んだ。
「兄貴が死ぬ? でも、兄貴はそこで生き延びるはずだろう? 師央は、そういう未来を生きてきた」
「たぶん、ぼくの仕業ですよ。師央くんの声を代償に、師央くんをさらに過去へ送る。師央くんが目撃したのは、そこまでだけどね。ぼくは、論理のつじつま合わせをするはずです。力学《フィジックス》がぼくの行動原理だから。力学、物理学は、論理の学問なんですよ。師央くんを育てるのは、文徳くんです。その結果を成立させるために、ぼくは自分の命を代償に、文徳くんを蘇生する」
そして十五歳の師央が、因果を背負った白獣珠を携えて、オレたちの高校時代に現れた。
オレは頭が回っていない。思考が止まっている。でも、口が勝手に動いた。
「どう思った? 顔も知らなかった父親の若いころを知って、何を感じた?」
栗色の髪と赤っぽい茶色の目の、伊呂波家の血筋の色をした師央を初めて見たとき、オレに似た顔だと、自分でも思った。
師央が、くしゃりと顔じゅうで笑った。そんな表情、オレはしない。師央だけの表情だ。
「嬉しかった。煥さんを初めて見たとき、銀色の髪、金色の目で、伯父さんから聞いていたとおりで。顔、覚えてないのに、なつかしくて」
笑った師央の両目から涙がこぼれた。
最初は信じられなかった。いきなりパパと呼ばれて、意味がわからなくて、苛立った。だけど、今はわかっている。オレのやりたいこと。
「オレが師央の運命を変えてやる」
「今、運命のこの一枝に、白獣珠はいくつあるんでしょう?」
「海ちゃん、それ、おれも考えてた」
二人のやり取りに、師央が、ひとつ身震いした。
「どういう意味ですか? 白獣珠は、二つじゃないんですか? 煥さんのと、ぼくの」
「ループしているかもしれないんですよ。この一枝、延々とループし続けてるかもしれない。その可能性に、さっき気付いたんです」
「ループって?」
海牙は理仁に目配せした。理仁は、海牙に「どうぞ」とジェスチャーする。海牙が話を続けた。
「煥くんが持っている白獣珠をA《エー》とします。やがて生まれる師央くんが、Aを引き継ぐ。Aを持った師央くんが時間をさかのぼる。過去で出会う煥くんも、白獣珠を持っている。これをA’《エー・ダッシュ》とする。Aのほうは、過去の時点で紛失する。でも、やがて生まれてくる師央くんはA’を引き継ぐ。今度はA’が時代をさかのぼる。Aがどこかに紛失したままでね」
師央が、ふらりとよろけた。
「それが繰り返されてるって言うんですか? ぼくが、時間をさかのぼり続けて、Aの’《ダッシュ》の数が増え続けて、つまり、白獣珠の数が、増え続けていて? でも、おかしいですよ。それじゃ、どこに、そんなたくさんの白獣珠が?」
海牙が、かぶりを振った。
「わからない。曖昧な仮説ですよ。物理的には成立し得ないように思える。でも、原理的に想定することもできる。ただし、もしこの仮説が正しいのなら、危険ですね。この一枝の質量が増え続けているんだから」
師央が、へたり込んだ。
「じゃあ、ぼくは? ぼく自身は、何人?」
海牙が口ごもった。理仁が代わりに言った。
「どこかにいるのかもしれないね。ドッペルゲンガー的に。でもさ、一般的に平和な感じで生きてはいない。だって、師央は未来、見てきてるよね? 自分そっくりの親戚なんて、いないでしょ?」
師央がうなずく。理仁が顔から笑みを消した。
「考えられるシナリオとしてはさ、次はたぶん、師央が死ぬ」
ガン、と頭を内側から殴られたような衝撃。
「ちょっと、待てよ、おい」
自分が死ぬ未来を見たときよりショックだ。師央が、この時代で死ぬ?
「あっきー、おれは今から残酷なこと言うよ。もし、この一枝が師央を軸にループしてるなら、その要因は、あっきーと鈴蘭ちゃんにもある。師央って存在を生まないって選択肢もあるんだよ? でも、二人はそれを選ばない。だから、師央が生まれる。ループが続く。どうしてかな?」
理仁がオレを見る。朱い光を宿す、冷たいほど真剣な目。オレは答えられない。理仁は鈴蘭に視線を移した。鈴蘭が理仁に答えた。
「挑戦するため。今度こそ必ず運命を変えたい、って。だって、わたしは二人を愛するから。その未来が訪れないなんて悲しすぎるから」
理仁は冷静に言った。
「でも、それがループを引き起こす。師央に何度もつらい思いをさせる」
「やめろ、理仁」
「あっきーにも、わかってるはずだ。この一枝は、そろそろマジで異常だよ。最近、しょっちゅう未来が見えるんだ。予知夢ってやつ。昔から、軽~い予知はできてたけどね。勘がいいって程度で。なのに、師央が来てからこっち、本気で変だ。本気でヤバいと思う」
未来が見えるという言葉に、オレの胸に痛みがよみがえる。大切なものを守れない悲しみと、目的を遂げられないまま死ぬ悔しさがよみがえる。
「あっきーも見えてんだ? さっきの言い方からすると、鈴蘭ちゃんもね。わかってんでしょ? これから起こること。師央が確かに経験するはずの不幸。それでもこのまま進もうって思う?」
海牙が静かに言った。
「師央くん、話してくれませんか? いつ、どうして煥くんたちが死ぬのか。なぜきみが時間をさかのぼろうと決心したのか。ぼくがみんなに伝えますから」
師央は力なくうなずいた。唇が動き始める。声はない。海牙は師央の口元を、じっと見ている。
オレは壁にもたれて目を閉じた。しんとしていた。自分の呼吸の音が、ひどく大きく聞こえた。遠くから、人のざわめきが聞こえる。瑪都流の面々が声をあげているんだろう。
長い時間はかからなかった。師央の弱々しい声が、話の終わりを告げた。
「……これで全部です」
海牙が額を押さえた。
「考え付く限り最悪のシナリオですね。だからこそ質量が大きい。あるいは、ループしながら、より大きく成長しているのかな」
「おい、海牙?」
海牙は目元の表情を隠したまま語った。
「師央くんが産まれるのは、今から四年後、煥くんが二十歳のときです。そして、それから約一年後、師央くんの両親とその友人が死ぬ。つまり、煥くん、鈴蘭さん、ぼくが死ぬ。青獣珠と玄獣珠も奪われる。そこで生き残るのは、師央くんと文徳くん、それと白獣珠」
オレは師央を見た。師央はうなずいて、目を閉じた。目尻に涙がある。海牙は続ける。
「師央くんは文徳くんに引き取られて、襲撃者から隠れながら暮らす。でも、三度、見付かった。一度目は、師央くんが物心つく前。そのとき、文徳くんの親友が死んだ。同時に、朱獣珠が奪われた」
理仁が唇を噛んだ。兄貴の親友ってのは、理仁だ。
「二度目は、師央くんが十歳のとき。この襲撃は、師央くんも記憶している。銃を乱射されて、文徳くんの仲間たちが死んだ」
仲間たちってのは、瑪都流だ。牛富さんや雄が、争いに巻き込まれて死ぬんだ。
「そのとき聞いた言葉がある。襲撃者のリーダーが、文徳くんに言った。古巣からはとっくに離れた、と」
理仁が師央に訊いた。
「その古巣ってのは、KHANって意味?」
師央の唇が動く。声が出ない。もどかしそうに、首筋に爪を立てる。海牙が、かぶりを振った。相変わらず表情を見せない。
「師央くんは、十歳のころにはわからなかった。襲撃者の正体も、なぜ白獣珠が狙われるのかも。今回、やっとわかったんですよ。正木さんの顔を見て、襲撃者のリーダーが正木さんであることを思い出した。そして、襲撃の要因が今この現在にあることもわかった」
理仁が鼻を鳴らした。
「やっぱ、正木ってやつ、ハマっちゃうわけね。白獣珠で願いを叶えて、それが癖になる」
正木はさっき、白獣珠を使った。理仁の号令《コマンド》を解除するために、自分の身が傷付くことを代償にして。
海牙は師央の物語を続ける。
「師央くんが十五歳の春。最後の襲撃があった。文徳くんの一家が殺された。文徳くんは、最期に白獣珠に願った。師央くんと白獣珠を過去に送って、運命を修正する。代償は、文徳くんの命。時間跳躍《タイムリープ》した先もまた襲撃の場で、師央くんは両親と伯父が死ぬところを目撃した」
オレは思わず口を挟んだ。
「兄貴が死ぬ? でも、兄貴はそこで生き延びるはずだろう? 師央は、そういう未来を生きてきた」
「たぶん、ぼくの仕業ですよ。師央くんの声を代償に、師央くんをさらに過去へ送る。師央くんが目撃したのは、そこまでだけどね。ぼくは、論理のつじつま合わせをするはずです。力学《フィジックス》がぼくの行動原理だから。力学、物理学は、論理の学問なんですよ。師央くんを育てるのは、文徳くんです。その結果を成立させるために、ぼくは自分の命を代償に、文徳くんを蘇生する」
そして十五歳の師央が、因果を背負った白獣珠を携えて、オレたちの高校時代に現れた。
オレは頭が回っていない。思考が止まっている。でも、口が勝手に動いた。
「どう思った? 顔も知らなかった父親の若いころを知って、何を感じた?」
栗色の髪と赤っぽい茶色の目の、伊呂波家の血筋の色をした師央を初めて見たとき、オレに似た顔だと、自分でも思った。
師央が、くしゃりと顔じゅうで笑った。そんな表情、オレはしない。師央だけの表情だ。
「嬉しかった。煥さんを初めて見たとき、銀色の髪、金色の目で、伯父さんから聞いていたとおりで。顔、覚えてないのに、なつかしくて」
笑った師央の両目から涙がこぼれた。
最初は信じられなかった。いきなりパパと呼ばれて、意味がわからなくて、苛立った。だけど、今はわかっている。オレのやりたいこと。
「オレが師央の運命を変えてやる」