師央が海牙の左腕をつかんだ。
「その能力は、こういうこと、ですよね?」
「はい?」
 師央が大きく動いたようには見えなかった。ただ、師央の左肩を中心に、海牙の体が弧を描いて投げ飛ばされた。
 さすがにというべきか、海牙は、地面に叩きつけられはしなかった。寸前で衝撃を受け流している。
「ああ、びっくりしました」
 海牙は身軽に立ち上がった。いつの間にか、師央の腕が振りほどかれている。師央が海牙を見上げた。
「ぼくは習得《ラーニング》できるから、あなたの言葉をもとに、あなたの体感を想像して、今のチカラを使いました」
「おもしろい能力ですね。きみみたいな能力者がいるなんて、初めて知りましたよ」
「知らなくて当然です。ぼくは、この時代の人間じゃないから」
「へぇ? じゃあ、未来からきた、とでも?」
 師央がうなずいた。そのとたん、オレの胸に不安が差した。いや、不安以上の不吉な何か、だ。問題の核心に触れようとしている。触れれば、否応なしに危機に近付くことになる。そんな気がする。
「師央、そいつに話すのか?」
「はい」
「信用できるのか?」
「海牙さんは、敵ではないはずです。だって、__してまで、ぼくを__のは……」
 師央が口をつぐんだ。悔しげに唇を噛む。海牙が、くすりと笑った。
「へえ、『自分を犠牲にしてまで、ぼくを過去へ送ったのは』ですか? 続きを話してもらえませんか?」
 師央が目を見張った。
「どうして、ぼくの言葉を?」
「繰り返しになるんだけどね、ぼくの視界は、数値で満たされています。露出した部分の筋肉の動きも読める。唇と舌の動きも、もちろん、その範疇ですよ」
 師央がまくし立てた。声はない。海牙は師央を見つめていた。師央が口を閉ざしたとき、ひとつうなずいた。
「つまり、こういうことですね。きみは未来から、運命を変えるために来た。二度、時間をさかのぼった。そのどちらにも、白獣珠を使った。一度目は、伯父の命を代償にした。二度目は、きみの声を代償にした。時間跳躍《タイムリープ》の理由を話すとき、きみは声を失う。その代償を命じたのは、未来のぼくだ」
 するすると、謎が紐解かれていく。時間を超えることができた理由。師央が唐突に声を失う理由。
 兄貴が小さく笑った。
「余命宣告、か。おれは師央が十五歳のときに死ぬんだな? 師央を過去へ送るために」
 師央が目を伏せた。唇が動いた。その言葉はオレにも読めた。ごめんなさい、と。
 海牙が、波打つ髪を掻き上げて、襟元からペンダントを取り出した。トップに付けられたのは、黒い宝珠だ。
「ぼくの玄獣珠です。同じように師央くん、きみも白獣珠を身に付けてますよね?」
「はい」
「そして、煥くんも」
 海牙がオレを見た。
「四獣珠のチカラも、数値で見えるのか?」
「いいえ、分析不能ですよ。三次元での物理学では、奇跡や運命は論じられない。でも、そこにチカラが存在することは感じられます」
「両方、本物だと?」
「ええ。まったく同じ白獣珠が二つ、確かに存在している。その謎は、師央くんの言葉を信じるなら、解ける」
 オレは胸に手を当てた。チカラの存在を感じるっていう表現は、わかる。オレとよく似た、でもオレとは別の鼓動。わずかにひんやりとした、体温のような熱がここにある。
 白獣珠は生きている。快と不快とを感じる本能のようなものを持っている。そして、その本能がオレに繰り返し告げる――因果の天秤に、均衡を。
 師央も胸に手を当てていた。きっと同じ存在を感じている。
 海牙が大きく伸びをした。
「やれやれ。また考える材料が増えちゃったな。まあ、思考実験が進むのは、悪いことじゃない。検証できるかとうかは別だけどね。さて、帰ろうかな」
 あっさりとした口ぶりに拍子抜けした。
「帰る?」
「課題がまだ片付いてなくてね。進学校の三年生は、休む暇もないんですよ」
「課題って、おい、あんた結局、何しに来たんだ?」
「何しに、って、ああ、そうか。また忘れるところだった」
 海牙は、すっと背筋を伸ばした。頬に浮かんだ笑みは隙がない。チカラを見せつけられたばかりだ。反射的に、ゾクリとする。
「煥くんと師央くんに伝えておかないとね。ぼくは、ある組織に所属しています。そして、ぼくは総統のご命令で、ここにいます」
「組織? 総統の命令?」
「総統があなたたちをお呼びです。ぼくと一緒に来てもらえませんか? あと二人の能力者の友達も、一緒にね」
 柔らかい物腰で放たれた言葉。しかし。
「逆らっても無駄なんだろ? あんたは相当な使い手だ。強引に事を運ぶのも簡単だ」
 海牙は、パタパタと手を振った。一見、邪気のない笑顔。真意は読めない。
「そんな物騒な話じゃないんですよ? 預かり手が集まった理由や因果の天秤の意味、知りたくありませんか? まあ、詳しくは、明日、話します。ああ、明日じゃないか。もう日付が変わってしまってる。何にせよ、放課後、校門の前で待ってます。能力者の皆さんに、お揃いで来てもらいたい。考えておいてくださいね」
 海牙は歩き出した。音もたてず、オレたちの間を抜けていく。
 信用していいのか? 師央は、海牙を信用すると言った。オレもそうすべきなのか?
 ふと、海牙が振り返った。
「帰り道、どっちでしたっけ?」
「は?」
 海牙は悪びれずに笑った。
「実は、ちょっと方向音痴でね。大都高校のあたりまで送ってもらえません?」
 こいつ、頭いいのか悪いのか、どっちだ?