断崖絶壁の突端にある伊呂波家の墓は、いつ来ても、潮風が吹き荒れている。三代前の墓なんて、もうボロボロだ。すぐ真下には白い灯台があって、規則正しい光を夜の海に投げかけている。
墓参りといっても、オレも兄貴も、何をすればいいか知らない。線香を上げようにも花を活けようにも、風が強すぎる。ただ墓石の文字を見つめながら、胸の中で挨拶する。
今月も、生きてここへ来られたよ。
来月も同じ日に、またここへ来る。兄貴と二人、親父のバイクで。両親を慕ってくれてた仲間たちと一緒に。
「ちょっと、師央、どうしたの? 何で泣いてるのよ?」
亜美さんの声で、オレは振り返った。呆然とした顔の師央が、自分の頬に触れていた。涙が流れていることに、今、気付いたらしい。師央がきつく目を閉じた。涙のしずくが、いくつか風に飛ばされた。
「ごめん、なさい。自分の両親のこと、思い出して」
オレと兄貴は顔を見合わせた。そして確信する。この胸騒ぎを、兄貴も感じている。オレは、息子が十五歳になる前に死ぬ?
亜美さんが少し膝をかがめた。師央の顔をのぞき込む。頭を、そっと撫でる。
「寂しい思いしてきたの? 怖がんなくていいよ。泣きたいときは泣きな。あたしは、あんたの味方だからね」
亜美さんには、師央の素性は話していない。牛富さんにも雄にも言っていない。師央が親戚でないことくらい、わかってる。でも、みんな訊いてはこない。
「味方なんて、どうして? ぼく、怪しいでしょ? 詳しいこと、何も言えなくて」
「怪しくなんかないよ。文徳と煥が、あんたを信用してる。あたしたちにとっては、それで十分、あんたを守る理由になるんだよ」
師央が嗚咽混じりに言った。潮風に消されそうな声に、オレは耳を澄ます。
「話せないんです。なぜ、ぼくがここにいるのか。何が起こったから、ここへ来たのか。話そうとすると、声が消える。書こうとすると、手が動かない。伝えられないんです」
亜美さんが、母親が子どもにするみたいなやり方で、ふわりと師央を抱き寄せた。ライダースーツ姿なのに、ひどく優しげだ。
「師央って不思議だな。守らなきゃいけないって思うんだ。親のことで泣くの? あたしね、なんか思ったの。あんたの親代わりに守らなきゃ、って。無理しないでいいよ、師央」
師央はそのまま、すすり泣いていた。兄貴が師央と亜美さんに近寄って、二人まとめて腕の中に抱いた。
もどかしい。本当はオレがそこにいなきゃいけない。そんな気がするのに、体が動かない。頭の芯が痺れて思考が止まる。
代わりに流れ込んでくる、何か。情念のような、後悔のような。
――バイクのこと、唄のこと――
語り合いたかった。
――高校時代のこと、恋のこと――
話して聞かせたかった。
オレは、ハッとして、墓石を振り返る。
――これは記憶――
誰の?
――父としての――
オレ?
オレが、そこに眠る未来?
いつの間にか信じている、あるいは理解している。師央は未来からきた。師央はオレの息子だ。
ならば、なぜ? 師央は未来を変えたい? 師央は事情を話せない? 何があった? これから何が起こる?
――守りたい――
命に代えても。
そう願ったのは、願うのは、いつ? 現在? 未来?
いや、今だ。現在だ。オレと同じ思いをさせたくない。両親の月命日にバイクを飛ばす、このむなしさと寂しさ。繰り返すべきじゃないんだ。
――守りたい――
息子の未来を。
潮風が逆巻いた。海鳴りが放つ潮の匂いに、不意に。
「誰だっ!」
気配が混じった。何者かが闇に潜んで、動いたんだ。
「へぇ。気付いたんですか。さすが、最強と言われるだけのことはある」
風にあおられながらも、その声はよく聞こえた。若い男の声だ。
瑪都流の全員が同時に動いた。正確に同じほうをにらんで身構える。中心に師央を守る陣形。オレが先頭へ飛び出した。
兄貴が静かな問いを放った。
「きさま、誰だ?」
「初めましてのかたが、四名。ほか二名には挨拶させてもらったけどね。そうか。名乗るのは、忘れていたかな」
軽やかに笑う声。オレたちの視界に映る闇が、ひとつ、ほろりと剥がれる。
背の高い男が、そこに立っている。黒よりも夜に紛れる暗色の服。波打つ髪と、彫りの深い顔立ち。微笑む目は、緑がかっているはずだ。
そいつが歩いてくる。足取りは体重を感じさせない。
オレは目を細めてみせた。
「カイガ、だったか?」
「ええ。そのとおり。後ろの彼が、ぼくの名前を知ってたんでしたね。海の牙と書いて、海牙《かいが》です。改めて、名乗らせてもらいますね。大都高校三年、阿里海牙《あさと・かいが》。得意科目は物理。能力は、力学《フィジックス》」
「能力者か!」
「そんなに驚かないでください、煥くん。きみだって、能力者じゃないですか。それに、後ろの彼もね。一応、調べましたよ。謎の少年、伊呂波師央くん。現れたのは、半月前。以来、襄陽学園に潜り込んでいる」
海牙が、すっと近付いてくる。ゆっくり歩いているように見える。でも、近付き方が速すぎる。
考えるより先に体が動いた。みんなに接触させたくない。海牙は強すぎる。こいつが危険な存在なら、オレが止めるしかない。
拳が、かすかに鳴った。海牙の手が、繰り出したオレの拳を受け流した。鮮やかなくらい完璧に、勢いを殺がれた。
「やるじゃねぇか」
「お手柔らかに」
オレと海牙は同時に跳び離れた。オレは腰を沈める。海牙は突っ立っているだけだ。
「何しにここへ来た?」
「煥くんたちと話をするために」
「どうやって来た?」
「ぼくは二輪車の免許を持ってないんです。この二本の脚で十分だからね」
海牙は、にっこりと笑った。そして跳躍した。予備動作なしで、身長の倍以上の高さまで。高すぎる。あり得ない。
空中で海牙が身を縮める。落下が始まる。左脚を蹴り出しながら、オレのほうへと。
オレは、よけない。勢いを受け流しながら、海牙の体を絡め取る。巻き込んで倒れる。
「つかまえたぜ」
馬乗りになる。
「なるほどね。能力を使わなくても、この強さ。度胸もある。きみが特別な人間なのが、よくわかるな」
「何だと?」
「話というのはね、能力者同士で手を組みたいっていう相談ですよ。ぼくと一緒に、ある場所へ来てほしい。話をさせてもらえますか?」
オレは海牙の襟首をつかんだ。
「あんたの話なんか聞かねえ。と言ったら?」
「そう言うと思ってたんです。だから、ちょっと脅迫してみようかと」
「脅迫?」
「ぼくには強いチカラがある。無理やり誘拐して協力させることもできる。それを理解してもらいたくてね」
海牙が再び、にっこりと笑った。その瞬間、オレの体は宙に放り投げられていた。
墓参りといっても、オレも兄貴も、何をすればいいか知らない。線香を上げようにも花を活けようにも、風が強すぎる。ただ墓石の文字を見つめながら、胸の中で挨拶する。
今月も、生きてここへ来られたよ。
来月も同じ日に、またここへ来る。兄貴と二人、親父のバイクで。両親を慕ってくれてた仲間たちと一緒に。
「ちょっと、師央、どうしたの? 何で泣いてるのよ?」
亜美さんの声で、オレは振り返った。呆然とした顔の師央が、自分の頬に触れていた。涙が流れていることに、今、気付いたらしい。師央がきつく目を閉じた。涙のしずくが、いくつか風に飛ばされた。
「ごめん、なさい。自分の両親のこと、思い出して」
オレと兄貴は顔を見合わせた。そして確信する。この胸騒ぎを、兄貴も感じている。オレは、息子が十五歳になる前に死ぬ?
亜美さんが少し膝をかがめた。師央の顔をのぞき込む。頭を、そっと撫でる。
「寂しい思いしてきたの? 怖がんなくていいよ。泣きたいときは泣きな。あたしは、あんたの味方だからね」
亜美さんには、師央の素性は話していない。牛富さんにも雄にも言っていない。師央が親戚でないことくらい、わかってる。でも、みんな訊いてはこない。
「味方なんて、どうして? ぼく、怪しいでしょ? 詳しいこと、何も言えなくて」
「怪しくなんかないよ。文徳と煥が、あんたを信用してる。あたしたちにとっては、それで十分、あんたを守る理由になるんだよ」
師央が嗚咽混じりに言った。潮風に消されそうな声に、オレは耳を澄ます。
「話せないんです。なぜ、ぼくがここにいるのか。何が起こったから、ここへ来たのか。話そうとすると、声が消える。書こうとすると、手が動かない。伝えられないんです」
亜美さんが、母親が子どもにするみたいなやり方で、ふわりと師央を抱き寄せた。ライダースーツ姿なのに、ひどく優しげだ。
「師央って不思議だな。守らなきゃいけないって思うんだ。親のことで泣くの? あたしね、なんか思ったの。あんたの親代わりに守らなきゃ、って。無理しないでいいよ、師央」
師央はそのまま、すすり泣いていた。兄貴が師央と亜美さんに近寄って、二人まとめて腕の中に抱いた。
もどかしい。本当はオレがそこにいなきゃいけない。そんな気がするのに、体が動かない。頭の芯が痺れて思考が止まる。
代わりに流れ込んでくる、何か。情念のような、後悔のような。
――バイクのこと、唄のこと――
語り合いたかった。
――高校時代のこと、恋のこと――
話して聞かせたかった。
オレは、ハッとして、墓石を振り返る。
――これは記憶――
誰の?
――父としての――
オレ?
オレが、そこに眠る未来?
いつの間にか信じている、あるいは理解している。師央は未来からきた。師央はオレの息子だ。
ならば、なぜ? 師央は未来を変えたい? 師央は事情を話せない? 何があった? これから何が起こる?
――守りたい――
命に代えても。
そう願ったのは、願うのは、いつ? 現在? 未来?
いや、今だ。現在だ。オレと同じ思いをさせたくない。両親の月命日にバイクを飛ばす、このむなしさと寂しさ。繰り返すべきじゃないんだ。
――守りたい――
息子の未来を。
潮風が逆巻いた。海鳴りが放つ潮の匂いに、不意に。
「誰だっ!」
気配が混じった。何者かが闇に潜んで、動いたんだ。
「へぇ。気付いたんですか。さすが、最強と言われるだけのことはある」
風にあおられながらも、その声はよく聞こえた。若い男の声だ。
瑪都流の全員が同時に動いた。正確に同じほうをにらんで身構える。中心に師央を守る陣形。オレが先頭へ飛び出した。
兄貴が静かな問いを放った。
「きさま、誰だ?」
「初めましてのかたが、四名。ほか二名には挨拶させてもらったけどね。そうか。名乗るのは、忘れていたかな」
軽やかに笑う声。オレたちの視界に映る闇が、ひとつ、ほろりと剥がれる。
背の高い男が、そこに立っている。黒よりも夜に紛れる暗色の服。波打つ髪と、彫りの深い顔立ち。微笑む目は、緑がかっているはずだ。
そいつが歩いてくる。足取りは体重を感じさせない。
オレは目を細めてみせた。
「カイガ、だったか?」
「ええ。そのとおり。後ろの彼が、ぼくの名前を知ってたんでしたね。海の牙と書いて、海牙《かいが》です。改めて、名乗らせてもらいますね。大都高校三年、阿里海牙《あさと・かいが》。得意科目は物理。能力は、力学《フィジックス》」
「能力者か!」
「そんなに驚かないでください、煥くん。きみだって、能力者じゃないですか。それに、後ろの彼もね。一応、調べましたよ。謎の少年、伊呂波師央くん。現れたのは、半月前。以来、襄陽学園に潜り込んでいる」
海牙が、すっと近付いてくる。ゆっくり歩いているように見える。でも、近付き方が速すぎる。
考えるより先に体が動いた。みんなに接触させたくない。海牙は強すぎる。こいつが危険な存在なら、オレが止めるしかない。
拳が、かすかに鳴った。海牙の手が、繰り出したオレの拳を受け流した。鮮やかなくらい完璧に、勢いを殺がれた。
「やるじゃねぇか」
「お手柔らかに」
オレと海牙は同時に跳び離れた。オレは腰を沈める。海牙は突っ立っているだけだ。
「何しにここへ来た?」
「煥くんたちと話をするために」
「どうやって来た?」
「ぼくは二輪車の免許を持ってないんです。この二本の脚で十分だからね」
海牙は、にっこりと笑った。そして跳躍した。予備動作なしで、身長の倍以上の高さまで。高すぎる。あり得ない。
空中で海牙が身を縮める。落下が始まる。左脚を蹴り出しながら、オレのほうへと。
オレは、よけない。勢いを受け流しながら、海牙の体を絡め取る。巻き込んで倒れる。
「つかまえたぜ」
馬乗りになる。
「なるほどね。能力を使わなくても、この強さ。度胸もある。きみが特別な人間なのが、よくわかるな」
「何だと?」
「話というのはね、能力者同士で手を組みたいっていう相談ですよ。ぼくと一緒に、ある場所へ来てほしい。話をさせてもらえますか?」
オレは海牙の襟首をつかんだ。
「あんたの話なんか聞かねえ。と言ったら?」
「そう言うと思ってたんです。だから、ちょっと脅迫してみようかと」
「脅迫?」
「ぼくには強いチカラがある。無理やり誘拐して協力させることもできる。それを理解してもらいたくてね」
海牙が再び、にっこりと笑った。その瞬間、オレの体は宙に放り投げられていた。