ようやく中心部までたどり着いた。兄貴は「よう」と片手を挙げた。もう片方の手は、亜美さんの髪を撫でている。
「よう、じゃないだろ。どうなってんだよ、これは?」
「学校じゅうの女子に囲まれる体験ってさ、たまにはおもしろいだろ?」
「オレはごめんだな。どういう手品だ?」
 兄貴は肩をすくめて、隣の男を見た。異様に声の響くその男は、朱い色の瞳をしている。そいつはオレに笑いかけた。
「初めましてだね~。おれ、長江理仁《ながえ・りひと》。文徳のタメで、親友だよ。よろしく~」
 軽いノリのしゃべり方が、なんか疲れる。
「どうも。兄貴が世話になってるみたいで」
「いやいやいや、こちらこそ。文徳には世話かけっぱなしなんだよね。あ、そうそう。去年、おれ、フランス留学してたの。だから、弟くんへの挨拶も遅れちゃってさ~。ま、先月には戻ってたんだけどね。時差ボケが抜けるのに一ヶ月かかっちゃって」
 要するにサボりまくってたんだろ。五月に入ってようやく初登校って、出席日数、大丈夫なのかよ? いや、こいつの出席日数はどうでもいい。知りたいのは別のことだ。
「この意味不明な状況は何なんだ? あんたが原因なんだろ?」
「年上にあんたはよくないよ~。ま、呼び捨てでいいけどね。弟くんは、煥だよね? あっきーでいい?」
「よくない」
「じゃ、あきらん」
「普通に呼べ!」
「だったら、やっぱ、あっきーかな~」
 意味わかんねぇ。ほっとくか。
「とにかく。この状況とあんたの声のこと、説明しろ」
「理仁。おれのこと、理仁って呼んでってば」
「……理仁」
「オッケー! あっきーって、けっこうすなおじゃん。文徳の教育が行き届いてるね~」
 教育じゃねぇよ。兄貴の横暴が身に染み付いてるだけだ。どうでもいい場面では意地を張らない。それがいちばんいい。
 理仁の朱い目が、急に、ギラリとした。顔は笑ったままだ。目だけが、強い光を放っている。理仁は唐突な言葉を吐いた。
「あっきーも、気軽に恋してみない?」
「は?」
 理仁の声の質が変わった。さっきも聞いた声。いや、感じた声、というべきか。直接、脳と心と本能の真ん中に響いてくる声だ。
【かわいいなー、って感じる子、いるでしょ? その子の手を握っちゃうとか。やってみたいと思わない?】
「なるほど。これが、この校庭の状況の正体か」
 理仁のまなざしが、すっと軽くなる。
「うすうす勘付いてはいたんだけどさ、能力者相手だと、おれのチカラ、無能なのね」
 理仁も能力者、ってわけか。でも、うすうす勘付いてた? 口を開きかけるオレを、理仁が制した。
【タンマ! あっきーがしゃべると、まわりに聞こえるからね~。おれは自分の声を調整できるから、内緒話できるけど。あっきーは、黙って聞いてなよ? 文徳もね。それと、あっきーの後ろのお二人さん。きみらも能力者? おれの声に従ってくれてないけど?】
 鈴蘭と師央がうなずく気配があった。
【オッケー。今から話す内容は六人だけの秘密ね? おれ、長江理仁は、朱雀の預かり手だ。宝珠の名前は、朱獣珠《しゅじゅうしゅ》っての。たまに噛むんだよね、この名前】
 やっぱり、預かり手と四獣珠が集まるのか。白獣珠の鼓動が、近くにある三つの宝珠と同期してるのを感じる。これから何かが起こるんだ? いや、すでに起こり始めてるのか?
 理仁が兄貴を見た。
【一年のとき、文徳に出会って、驚いたよ。文徳はおれの声にほとんど従わない。そんなやつ、初めてでさ~。ちょっと調べてみたんだよね。そしたら、白虎の家系じゃん? だから、おれの手に負えないんだな。マインドコントロール系は一般人相手じゃなきゃムズいの。ってことで、文徳のこと気に入ってさ~。だって、おれと対等なんだよ?】
 兄貴が苦笑した。
「少しは従ってしまうけどな。今、亜美に触れたくて仕方ない」
「全校生徒の前で、彼女を押し倒してみる?」
「さすがにそれは遠慮したい」
「上品だよね~、暴走族の総長のくせに。てか、ハイスペックすぎるっしょ、文徳は。不良の元締め、生徒会長、学年トップクラスの成績で、バンドマン。できないこと、ある? 能力者じゃないってことくらいじゃないの?」
 理仁は、へらへらと笑った。その笑いをオレに向ける。
「あっきーは、銀髪の悪魔だっけ? 銀色の髪と金色の目の超絶イケメンで? ケンカは最強、バイクは最速、しかも歌うまいし? 女の子は、ほっとかないよね~」
「からかうな」
「おぉ、すっげー眼光! カッコいいじゃん」
 こいつの話のリズム、ウザい。そろそろ本気でイライラしてきた。
「要点だけ話せ」
【はいは~い。ま、要点だけ言うとね。おれの能力は、号令《コマンド》。おれが放った号令《コマンド》、命令《オーダー》は、人を従わせる。効果の強さ弱さのバラつきは出るけどね】
「能力が及ぶ範囲、広いみたいだな」
「そーでもないよ? 今ここでは、すっげー緩い号令《コマンド》だけ出してんの。こーんなふうにね」
 理仁が短く深く息を吸った。改めて号令《コマンド》が発せられる。
【カッコいいから好きーって気持ちに、正直に行動して。ただし、人をケガさせちゃいけないからね~】
「はーい!」
 女子たちの声が一斉に答えた。
【こーいうのは簡単なんだよね~。人の本心を後押しするだけの簡単なお仕事。本心と違うことをさせるときはキツいよ? 疲れちゃうから、めったにやらないんだ。ってことで、説明終わりでいい? 何か質問は~?】
 鈴蘭が進み出て口を開いた。顔を見下ろしたら、案の定、怒っている。
「学校じゅうの女の子に、変な命令するなんて。何が目的なんですか?」
「そりゃー、モテモテって楽しいし? 女の子たちも、正直になるほうが楽しいだろうし? 需要と供給の見合った、すてきな計らいだと……」
「思えません! すぐ元に戻してあげてください! あなたのしてること、道徳に反してます!」
 ご立腹の鈴蘭を前に、理仁はへらへらしている。
「美少女な上に、気が強いんだな~。すてきだね」
「からかわないでください!」
「お、今のリアクション、あっきーとかぶってる」
「知りません!」
 理仁は緩い雰囲気のまま、朱い眼光だけ鋭くした。
【そうカリカリしないでよ~。預かり手同士、協力したいじゃん? てか、調べたから知ってるんだよね。青獣珠の預かり手、安豊寺鈴蘭ちゃん。進学科の一年生、文系。将来の夢は、スクールカウンセラー】
 鈴蘭が、ハッと息を呑む。理仁の目が師央へと動いた。
【でも、そっちの彼は知らないな。能力者なのにね】
 漂いかけた緊迫感を打ち破るように、予鈴が鳴った。兄貴が理仁を促した。
「さすがに、遊びはここまでにしよう。補習をサボれたし、おれは満足だ」
 兄貴、やっぱり補習サボってんじゃねぇか。オレに鈴蘭の迎えを押し付けやがって。
 理仁は兄貴にうなずいてみせた。
「りょーかい。でもさ~、文徳。おれ、ちょっと話し足りないんだよね」
「そうだな、放課後、部室にでも来い。それとも、屋上を開けてもらえるか?」
「お、いいね。親父んとこから鍵かっぱらってくる」
 兄貴が理仁を指して言った。
「付け加えておくと、理仁は、襄陽学園理事長の息子だ」
 マジかよ。典型的な放蕩息子だな。