私はそうっと、あやかママのほうに視線を移す。
 今度こそ、呆れられているのではないかと思ったから。

 けれど、あやかママは、にっこりと鮮やかに笑った。
 そして、人差し指を一本立てて、自分の口元に持っていく。
 それから、軽くウインクした。

 私は、ウインクが綺麗にできるだなんて器用な人だな、なんてことを考えていた。私はしようと思ったら、両目を閉じてしまう人だから。

 真っ赤な唇が、動き始める。

「ほいでも、誰も知らん」
「……はい」

 すべては私の心の中のこと。

「じゃ、ないこと」
「……ええんでしょうか」
「ええか悪いかでいうたら、良うはないじゃろうけどね」

 そう言って、あやかママはまたケラケラと笑った。

「まあウチは、判事さんじゃないけえね」

 そう言って、口の端を上げる。
 なんでもないことみたいに。

「でも実際、どうするん? ホンマは気付いてました、って、そんなん、人の心の中のことなのに、どうやって証明するん?」
「……それは」
「だってメッセとか全部提出したのに、どこにも知っとったっていう証拠はなかったんじゃろ?」
「……はい」
「ほいなら、もうええわ。もうええ、もうええ。面倒くさい」

 ひらひらと手を振りながら、心底面倒くさそうに眉根を寄せ、そんな風に言う。

「その人とももう会わんで、会社も辞めて、パーッと忘れりゃあええわ」

 そう言って、両腕を広げる。そしてまた足を組んで、その上に肘を置いて頬杖をついた。

「ウチならそうする、いう話。あんたがどうしたいんかは知らんけど」

 そこまで言って、なにかに気付いたように、こちらに振り向く。

「そういやあ、お名前、聞いとらんかったわ」
「あ、優美(ゆみ)です。元木(もとき)優美(ゆみ)
「優美ちゃんね。うん、覚えた!」

 そう言って、真っ赤な唇の両端を上げて笑った。その表情を見ていると、なんだか私もおかしくなって、小さく笑った。

「今度こそ、すっきりしたん?」

 あやかママは微笑んだまま、そう言った。

「はい。幾分かは」
「ほいならええわ」

 そう言って、あやかママはビール缶を口につける。けれどすぐに口から離して眉根を寄せた。

「あー、無いなった」
「じゃあ買ってきましょうか」

 そう言って腰を浮かせかけた私を、あやかママは手を立てて制する。

「いや、ええよ」
「ほうですか? じゃあ今度、お店のほうに行きますよ」
「ほんま? 喜ばせようとして言いよるだけなんじゃないん? ほんまに行ってよ?」

 あやかママはそう言って嬉しそうに笑う。
 どうやらこの辺でお開きだ。
 私は再度、ビール缶を自分の手に持ち、グイっと傾けて飲んだ。

 結局、何事も解決はしていないけれど。
 でも胸の中に溜まっていたものを吐き出せたような気がする。
 救われた。そう思った。

「そういや、お店は何時から……」

 言いながらあやかママがいる右手のほうを見ると。
 あやかママはもうそこにはいなかった。

「え……」

 この一瞬で? いったいどこに?
 私は慌てて立ち上がって辺りを見渡す。

 どこにもあの派手なスーツを着た人は見当たらなくて。
 そして、繁華街の喧騒が戻ってきていた。
 第二新天地公園は、いつも通り、幾人もの人がいて。
 中央通りにはたくさんの車が通っていて。
 ネオンが瞬く中、ざわざわと騒がしい、いつもの繁華街。

 私は呆然としたまま、ストンと腰をベンチに落とす。
 ふと横を見れば、空になった500mlのビール缶。
 私はそれを、夢見心地でじっと眺めた。

 そういえば。
 私はいつ、誰から、妖精の召喚の仕方を聞いたのだっけ。
 しばらく考えてみたけれど、どうしても思い出せなかった。