そして中央通りに向かって、他愛ない話をしながら二人で歩く。
 二人きり、というのは初めてなので、なんだか変な感じだ。

 しかも今までまったく意識していなかった人なのに、唐突に「口説きたい」などと言われて、どう反応していいものやら迷っている。
 もしかしたら今までも、そんな風に見ていてくれたのだろうか。
 いや、今までまったくその気配は感じ取れなかった。私が鈍いだけなのだろうか。それにしても。

「なにか、食べられないものとかある?」

 ふいに訊かれて顔を上げる。
 食べられないもの、と言われると一つしかない。

「実は、牡蠣(かき)が食べられんのんですよ」

 苦笑しながらそう言うと、ええ? と驚いたように課長がこちらに振り向く。

「広島の人なのに?」
「はい、一度、(あた)ったことがあって。それ以来」
「へえー。俺は好きだけど」

 牡蠣は広島の名産だ。日本一の生産量を誇っている。生まれも育ちも広島の私が、牡蠣が食べられない、というのもおかしな話だけれど、食べられないものは仕方ない。

 というか牡蠣が食べられない、というのは、会社での飲み会のたびに訊かれて何度か話題にしたことがある。
 会社の人たちがよく使う居酒屋には何種類か牡蠣メニューがあって、勧められて遠慮すると「ええー美味しいのに」と言われてしまうのだ。そのたび、「中ったことがあって」と説明していた。
 その場には課長もいたのではないかと思う。
 いや、確かにいたことがある。そのときもやっぱり、「広島の人なのに?」と言っていた。
 ということは、やはり興味を持って私の話を聞いたことはないのではないだろうか。

「じゃあ、海産系の店じゃないほうがいいのかな」
「あ、いえ……」

 牡蠣がダメなだけで、普通のお刺身とかは大好きだ。牡蠣はたいていは単品なので、それさえ頼まなければ済む話だ。
 そう口を開こうとすると、けれど課長は、続けて言った。

「第二新天地公園のほうに行くのなら、『お好み村』がすぐ近くだな」
「あ、ほうですね」

 『お好み村』は、一つのビルに二十店舗以上のお好み焼き店が入っている、観光名所だ。
 観光名所とはいえ、別に観光客だけが行くところでもなく、普通に私も行くことがある。
 中に入って、ずらりと並ぶお店の中から、どの店にしようかと選ぶのも楽しいところだ。

 お好み焼きか。まあ一次会にお好み焼きというのもいいかな、と考えた次の瞬間。

「それなら、広島焼きっていう手もあるけど」

 私はその言葉に、思わず足を止めた。
 先に二、三歩歩いた課長が、それに気付いて立ち止まってこちらに振り向く。

「どうかした?」

 課長は小首を傾げてこちらを見ている。

 ああ、過剰反応してしまった。
 けれどまあいいか。そのまま言ってしまおう。

「『広島焼き』なんてものはありません」

 私は口を尖らせてそう言ってみる。
 それはいけない。広島に住む者として、それはアウトだ。
 課長は、ああ、と声を漏らして、喉の奥でくつくつと笑った。

「あのう」
「ああ、ごめんごめん。可愛いな、と思って」
「かわっ……」

 唐突に言われて、頬が熱くなった。
 私は止めていた足を再び動かした。照れ隠しの意味もあった。

「そんな言葉で誤魔化されんのんです。『広島焼き』なんてものはないんです」
「知ってる知ってる。学生の頃、そうやって友だちをからかってたんだよ。それで、その癖が出た」

 小さく笑いながら、課長が私を追ってくる。私は足を止めはしなかった。

「ひどい! お好み焼きで、からかわんといてください! 県民にとっちゃあ大事なことなんです!」
「わかったわかった。もう言わないから」
「ホンマですか」
「ホント」

 そう言われて、私は早足を止めて、ゆっくりと歩く。課長も私の歩幅に合わせてきた。

「いやあ、元木さんは『広島焼き』が許せない派かあ」
「許せる人は、あんまりおらんと思います」
「わかった、肝に銘じておく」

 そう言って、殊勝にも胸に手を当てて、頭を下げる。
 私はそれを見て、ため息交じりに言った。

「はあ何年広島におってんですか」
「大学からだから、十二年かな。でもその、はあ、っていうのは未だによくわからない。もう、って意味かと思ったけど、はあもう、って言うし」

 私は、むう、と唇を尖らせる。

はあもう(もうすでに)やれん(やっていられない)

 わざとそう言ってみる。課長はまたくつくつと笑った。

「まあ、なんとなくはわかるけどね」
「課長、けっこう意地悪なんですね」
「好きな子は、からかいたくなる心理かな」

 さらりと言う。逆に真剣みが感じられない。
 やっぱりからかわれているだけなのだろうか。

「まさか、もう飲んどってんですか」
「いや、一滴も」

 口の端を上げて、そう言う。
 からかわれているような感じは否めないけれど。
 もう会社を辞めることですっきりして解放感があるからだろうか。

 なんだか私は、この他愛ない時間が、楽しくて仕方なかったのだった。