そういえば一年以上お世話になっているのに、名前を知らなかった。納品書に、たしかに竹崎という印鑑がおしてあったかもしれない。いつも『ティー・ティーさん』と呼んでいたから、個人名を知る必要がなかったのだ。
「今までお世話になりました、竹崎さん」
「いえ……」
 はじめてまじまじと顔を見て、今まで二十代後半くらいだと思っていた彼が、じつはもっとずっと年上なのではという可能性に気がついた。
 髪が茶色くて、言動も明るく、きょろきょろとよく動く目が少年みたいなので、実年齢より若く見えていたのかもしれない。たぶん三十代半ばだ。
 それと……。
 最後に会ったときより、だいぶげっそりしているように見える。目の下にはクマがあり、顔色もよくない。
 まさか身体を壊したとかで交代になったんじゃ……と心配になったときだった。
「宣伝課さんの……金庫のお金を盗りました。本当に申し訳ありませんでした!」
 竹崎さんが、ものすごい勢いで身体を直角に折った。
私は唖然として、しばらく反応もできず、だいぶたってから「え?」と声をあげた。それまで頭を下げたままだった竹崎さんが、がばっと顔を上げる。
「魔が差しました。もう御社の営業をさせていただくことはできないと思い……」
「あの、待ってください。えーっと」
 竹崎さんが盗った? 言われてみれば、できなくもない。金庫の入ったキャビネットは、給湯スペースのすぐそばにある。
 だけど……。
「盗ったって、どうやってですか? 鍵がかかっていたはずなんですが」
「生駒さんは何度か、在庫の補充をする私の目の前で金庫を開けていました。四ケタの番号ですから、注意深く見ていればすぐにおぼえられます。一年間、番号を変えた様子もありませんでした」
 思わず口を押さえた。そんな不用意なことをしていたなんて。
 自分のうかつさに青くなった私を見て、竹崎さんが困ったように笑う。
「けっこうあるんですよ。私たちのような出入りの業者って、空気に近いらしくて、その場にいても、部外者がいると認識されないんです。これ機密なんじゃないかなあって話を聞いてしまったりもします」
「そういうミステリ小説、あった!」
「ミステリ小説?」
 首をひねる竹崎さんに、「すみません、続きをどうぞ」と先を促す。