「花代ちゃんは鏡の世界ってあると思う?」
永犬丸巻緒は唐突にそう言った。
上津役花代は困り眉を作り小さく肩をすくめた。
巻緒はその冷たい反応を気にもせずに言葉を続ける。
「鏡の世界、正面から見たら果てしなく続いているのに、裏に回れば何もない世界。子供の頃、君は鏡が怖かった方かな? それともずっと眺めていた方かな? まあ、君は今でも子供だけれどね」
花代は聞き流しながらなんとなく制服のスカートの裾をはらった。
「俺は鏡に関してはどっちでもない子だった。朝に顔を洗ったらぱーっと鏡の前から走り去るような子だったから、鏡を見ることなんて目にゴミが入ったときくらいかな。でも家族旅行の宿泊先のホテルに古い鏡があってそのときは少し怖かった。えも言われぬ迫力があった。直緒は何も感じなかったみたいだけどね」
自慢の弟の名前を挙げて、巻緒は懐かしそうに天を仰ぐ。
「その鏡のイメージがこびりついているもので、肝心の旅行先がどこだったか俺は覚えていないんだ。レトロな電車に乗って四人がけの席でお弁当を食べたことくらいは覚えているんだけどね」
びっくりするほど、どこの旅先でもありそうな光景だ。
今、高架を過ぎていった電車に乗って1回でも乗り換えればすぐにそんな場所に着くだろう。
「あとそうだ。綺麗な池があった気がする。池、水面というのもまた鏡によく似ているよね。何かが広がっていそうと言うのが特に」
通り過ぎたショーウィンドウをなんとなく花代は横目で見る。
鏡に映ったひとりの自分が横目で視線を返してくる。
肩の上で切りそろえられた黒髪。
少し釣り目気味のキツい印象を与える目。
校則に従った制服の着こなし。
飾り気のない通学鞄。
どこにでもいる地味めの女子高生がそこにはぽつんといた。
「君は竜宮城を信じるかい?」
巻緒は池からの連想で話題を少し変えた。
茶髪よりのくせっ毛。
年の割には丸くて大きな目。
絶やされないにこやかな微笑み。
TシャツにGパンとラフなかっこうがよく似合っている。
花代は小さくため息をついてようやく答えた。
「巻緒。そうひとりでぺらぺらと話されると、なんというかとても不審者です」
「はいはい。ごめんごめん。ああ、着いたね」
巻緒が示した先には人だかりが出来ていた。
人々の視線の先は建物と建物の間だった。
路地裏。入れなくはないくらいの空間。隙間。
そこには黄色い規制線が張られ、制服警察官が直立している。
道路にはパトカーが数台。
花代は人をかき分けて規制線まで向かう。
制服警察官は花代の姿を認め、規制線を押し上げた。
後ろの人だかりが小さく疑問とともにざわめくのを無視して花代はその先に進む。
進んだ先に、黒い裂け目があった。
縦に引かれた直線から楕円状に膨らんでいる黒い裂け目。
下部は地面についておらず、上部は花代の頭より少し上。
人一人が割って入るには十分な大きさ。
その裂け目の前で短髪にスーツの男が花代を待っていた。
彼こそが私服警官にして永犬丸巻緒の弟、永犬丸直緒だった。
直緒は花代の姿を認めて片手を上げた。
「よう、上津役」
「こんにちは直緒さん。本日もご機嫌よろしいようで」
「嫌味か?」
しかめ面の直緒は常ににこやかな巻緒の弟にはとてもではないが見えない。
似ていない兄弟だ。
「発生は1時間以内。被害者あり。5人組の女子高生、その内3人が忽然と消えた。残された2人曰く道の真ん中になだれ込むように消えた、そうだ。この路地裏はゲーセンへの近道なんだとよ。それが消えた3人の鞄な」
裂け目の手前に無造作に並べられた5つの鞄を直緒は示す。
その鞄は花代と同じ学校の指定鞄だ。
花代にはぶら下がっている大きめのぬいぐるみに見覚えがあった。
「顔を知っている人たちです」
「そうか、そりゃ話が早くて助かるな」
「残りの二人は?」
「表に止めているパトカーの中で婦警が話を聞いている。だいぶ取り乱している」
「まあ、そうでしょうね」
「他に特記事項はなし。まあ、いつものだな」
「ええ、それでは早速」
花代は手を直緒に伸ばし、直緒は手に持っていた装備類を花代に手渡した。
カラビナ付きのライフジャケット。
カラビナには命綱がついていて、直緒のハーネスの腰部に続いている。
手慣れた早さでライフジャケットを着、花代は裂け目に向かう。
「それでは行ってきます」
「ああ」
花代は一瞬の躊躇もなく裂け目に飛び込み、その裏側から出ることもなく消えた。
直緒は腹の底からの息を吐き、呟いた。
「巻緒、あの子を守ってやってくれ」
「分かっているよ、直緒。それは俺がやらなければいけないことさ」
兄は弟に優しく答え、花代の後を追いかけ裂け目に飛び込んだ。
永犬丸巻緒は唐突にそう言った。
上津役花代は困り眉を作り小さく肩をすくめた。
巻緒はその冷たい反応を気にもせずに言葉を続ける。
「鏡の世界、正面から見たら果てしなく続いているのに、裏に回れば何もない世界。子供の頃、君は鏡が怖かった方かな? それともずっと眺めていた方かな? まあ、君は今でも子供だけれどね」
花代は聞き流しながらなんとなく制服のスカートの裾をはらった。
「俺は鏡に関してはどっちでもない子だった。朝に顔を洗ったらぱーっと鏡の前から走り去るような子だったから、鏡を見ることなんて目にゴミが入ったときくらいかな。でも家族旅行の宿泊先のホテルに古い鏡があってそのときは少し怖かった。えも言われぬ迫力があった。直緒は何も感じなかったみたいだけどね」
自慢の弟の名前を挙げて、巻緒は懐かしそうに天を仰ぐ。
「その鏡のイメージがこびりついているもので、肝心の旅行先がどこだったか俺は覚えていないんだ。レトロな電車に乗って四人がけの席でお弁当を食べたことくらいは覚えているんだけどね」
びっくりするほど、どこの旅先でもありそうな光景だ。
今、高架を過ぎていった電車に乗って1回でも乗り換えればすぐにそんな場所に着くだろう。
「あとそうだ。綺麗な池があった気がする。池、水面というのもまた鏡によく似ているよね。何かが広がっていそうと言うのが特に」
通り過ぎたショーウィンドウをなんとなく花代は横目で見る。
鏡に映ったひとりの自分が横目で視線を返してくる。
肩の上で切りそろえられた黒髪。
少し釣り目気味のキツい印象を与える目。
校則に従った制服の着こなし。
飾り気のない通学鞄。
どこにでもいる地味めの女子高生がそこにはぽつんといた。
「君は竜宮城を信じるかい?」
巻緒は池からの連想で話題を少し変えた。
茶髪よりのくせっ毛。
年の割には丸くて大きな目。
絶やされないにこやかな微笑み。
TシャツにGパンとラフなかっこうがよく似合っている。
花代は小さくため息をついてようやく答えた。
「巻緒。そうひとりでぺらぺらと話されると、なんというかとても不審者です」
「はいはい。ごめんごめん。ああ、着いたね」
巻緒が示した先には人だかりが出来ていた。
人々の視線の先は建物と建物の間だった。
路地裏。入れなくはないくらいの空間。隙間。
そこには黄色い規制線が張られ、制服警察官が直立している。
道路にはパトカーが数台。
花代は人をかき分けて規制線まで向かう。
制服警察官は花代の姿を認め、規制線を押し上げた。
後ろの人だかりが小さく疑問とともにざわめくのを無視して花代はその先に進む。
進んだ先に、黒い裂け目があった。
縦に引かれた直線から楕円状に膨らんでいる黒い裂け目。
下部は地面についておらず、上部は花代の頭より少し上。
人一人が割って入るには十分な大きさ。
その裂け目の前で短髪にスーツの男が花代を待っていた。
彼こそが私服警官にして永犬丸巻緒の弟、永犬丸直緒だった。
直緒は花代の姿を認めて片手を上げた。
「よう、上津役」
「こんにちは直緒さん。本日もご機嫌よろしいようで」
「嫌味か?」
しかめ面の直緒は常ににこやかな巻緒の弟にはとてもではないが見えない。
似ていない兄弟だ。
「発生は1時間以内。被害者あり。5人組の女子高生、その内3人が忽然と消えた。残された2人曰く道の真ん中になだれ込むように消えた、そうだ。この路地裏はゲーセンへの近道なんだとよ。それが消えた3人の鞄な」
裂け目の手前に無造作に並べられた5つの鞄を直緒は示す。
その鞄は花代と同じ学校の指定鞄だ。
花代にはぶら下がっている大きめのぬいぐるみに見覚えがあった。
「顔を知っている人たちです」
「そうか、そりゃ話が早くて助かるな」
「残りの二人は?」
「表に止めているパトカーの中で婦警が話を聞いている。だいぶ取り乱している」
「まあ、そうでしょうね」
「他に特記事項はなし。まあ、いつものだな」
「ええ、それでは早速」
花代は手を直緒に伸ばし、直緒は手に持っていた装備類を花代に手渡した。
カラビナ付きのライフジャケット。
カラビナには命綱がついていて、直緒のハーネスの腰部に続いている。
手慣れた早さでライフジャケットを着、花代は裂け目に向かう。
「それでは行ってきます」
「ああ」
花代は一瞬の躊躇もなく裂け目に飛び込み、その裏側から出ることもなく消えた。
直緒は腹の底からの息を吐き、呟いた。
「巻緒、あの子を守ってやってくれ」
「分かっているよ、直緒。それは俺がやらなければいけないことさ」
兄は弟に優しく答え、花代の後を追いかけ裂け目に飛び込んだ。