「ところで、話って何?」
 スプーンでパンナコッタをすくいながら、気楽に訊いてみた。
 千佳は腕を組んで、椅子の背もたれに体を持たせかけ、「んー」と考え込むような仕草をした。
 私を呼んだのに、まだ話をするかどうか悩んでいる様子だった。
 その間に私はパンナコッタを口にいれ、とろける具合を舌で味わいながら気長に千佳が話すのを待った。
 千佳にはいつでも千佳のペースがあり、人から指図されたり命令されるのを非常に嫌う。
 私をここに個人的に誘った以上、千佳には千佳の考えがあり、私はそれに従うだけだった。
 それにしても、このパンナコッタの感触は美味しい。
 私もまずはパンナコッタを堪能したい気持ちの方が大きかった。
 千佳の目の前にも、ヒロヤさんが同じものを運んできた。
 千佳も「いただきまーす」とすぐにスプーンを取り、口にする。
「わおっ、これは美味しい。この口解け具合と濃くのあるミルクが絶妙。そこに甘酸っぱいラズベリーソースの赤が見た目も食欲そそって、食べても美味しいし、これは癖になる」
「千佳ちゃん、大げさに褒めすぎ。でも嬉しいな。これが作れたのも、皆が色んな意見を言ってくれたからだよ。根本的な大事な事に気がついたから、これができたって感じかな」
「根本的な大事なことか。そうですね、そこに辿りつくには、そこまでの理由と過程があって、初めて結果に繋がるんですよね」
「千佳ちゃん、なんか哲学的みたいだね。どうしたんだい、今日は。二人して何か悩みでもあるの?」
「あっ、ヒロヤさんするどい。そうなんですよ。私達色々悩みがあって大変なんです」
 千佳は敢えて満面の笑みを添えていたので、冗談にしか聞こえなかった。
 ヒロヤさんも真剣にとらえることなく笑っていた。
「そっか、女子高生も大変だ。じゃあ、僕は奥へ消えるね。もしお客さんが来たら呼んで。ちょっと二階で洗濯してくるから」
 ヒロヤさんは千佳を信頼しているだけあって、店番を頼んだ。
 この時間は客が滅多に来ないといってただけあって、私達に気を遣って引っ込んでくれたのかもしれない。
 全くの貸切状態となって、私達は暫く静かにパンナコッタを食していた。
「ヒロヤさん、私達が食い逃げするかもしれないって、思わないんだろうか」
 その答えは用意に推測できたけど、私は冗談で言ってみた。
「そうだよね。ヒロヤさんはいつもあんな調子だから、そのうちそういう客もでてくるかもね。それでも、ヒロヤさんのことだから、もしそんなことがあって捕まえたら、まずは怒るよりも美味しかったかって聞くだろうな」
「千佳はヒロヤさんのことは何でも理解してるみたいだね」
「うん、大体はね」
 千佳は寂しげな瞳でパンナコッタを口にした。
 そこには、みのりが言っていたように、ヒロヤさんには思い人がいることも知っていると思った。
「実はさ、真由をここへ呼んでおきながら、まだ迷ってるんだ」
「えっ?」
 私のスプーンを持っていた手が止まった。
「真由と山之内君と池谷君の三角関係だけど、ここまでややこしくなってるその原因の一つがわかったんだ」
「どういうこと?」
「でも、疑問もあって、それを考えてたらある仮説が浮かんでね。そうするとなんかおかしいんだよ」
「どういうこと? 一体何の話?」
「山之内君は真由の事が好きなのは確かだと思う。真由はかわいいし、頭もいいし、性格もはっきりしていて明朗活発で、裏表がない分、気取ったところもない。申し分のない女性で、どんな男もやはり好きになると思う」
「だから、私のことはどうでもいいんだけど、一体千佳は何がいいたいの」
「あのさ、真由のこの恋、かなり根深い事情があって、それでこんな三角関係になってるって言いたいんだ」
「それで、その根深い事ってなんなのよ」
 千佳にしてはもったいぶった言い方だった。
「それがさ、私が言っていいものか、そこが迷うところなんだって。それをいうと、なぜそれに気がついたかって、私の問題にも係わってくるから」
「えっ? 千佳の問題にも係わってくる?」
 私にはちんぷんかんぷんだった。
 一体何が千佳の問題と係わっているのだろうか。
「それで、千佳は教えてくれないの?」
「うーん。真由はさ、この間の試食会で、何か気がついたことなかった?」
「そりゃ、明彦君が女装してたけど、あれは趣味でいたずらでしょ」
「アキは関係ないんだけど、その、ヒロヤさんや山之内君や池谷君や私を見て」
「えっ、なんで千佳を含めてその四人が関係あるの?」
「うーん、ごめん、うまくヒントが出せない。だけどやっぱり私が言うことじゃないかも」
「ちょっと、千佳」
「やっぱり、私が言うより自分で気がつかなければ、これは解決できないんじゃないかな」
 ものすごく中途半端な助言をされて、余計に混乱してしまった。
 こんなことなら聞かなかった方がよかったとさえ思える。
 かき乱すだけかき乱して、千佳は悪ぶれた様子もなく、残りのパンナコッタを口に入れていた。
 一度、千佳が言わないと決めたことは、どれだけ問い質しても千佳はそれを貫き通す。
 私も大きくため息を一つ吐いて、不満の中でスプーンを口にした。
 パンナコッタは美味しいけれども、千佳の言葉が気になりすぎて、食べ終わった時には物足りなさが残ってしまった。
 そうしているうちに、ヒロヤさんが戻ってきた。
 手には洗濯した数枚のエプロンを抱えていた。
「ゆっくり悩み事は話せたかい?」
「それが、益々悩んじゃいました」
 私は不満げに千佳の顔を一瞥してヒロヤさんに言った。
 ヒロヤさんは本気にせずただ笑っていた。
 カウンター内でごそごそとしては、手に持っていたエプロンをどこかにしまおうとしている。
 そこには試食会で身に付けていた色とりどりの鮮やかなエプロンも含まれていた。
 私はそのエプロンがしまわれているのを見ながら訊いた。
「ヒロヤさんって、沢山エプロンもってるんですね」
「うん。毎回色々なエプロン身に付けてると気分も変わってくるからね」
 ふと気がついたが、デザインや配色は違えど、今見につけてるエプロンも含め、それらのエプロンは色が沢山ついてカラフルなものばかりだった。
 そういえば、瑛太がこの店の名前の由来を教えてくれたところだった。
 『艶』──豊かな色々な色。キラキラと輝いて艶があって美しいという意味が込められている。
 最初、明彦に名前の由来を聞いたが、そのうち分かるかもしれないと素直には教えてくれなかった。
 瑛太もヒントを最初に出すほど、すぐには教えてくれなかった。
 意味を知っているものは何かとすぐには教えてくれない傾向がある。
 それも不思議だったが、その時、私は違和感を感じた。
 というより、電車に乗っていたときの拓登と瑛太の様子が変だったことを思い出した。
 あの時、名前の由来を話していたら拓登の顔色が変わり、瑛太はそれを見なかったほどにそっぽを向いて不自然だった。
 あれは一体なぜだったのだろう。
 『艶』
 この漢字にはまだ本来の意味があるのだろうか。
「ヒロヤさん、『艶』って名前ですけど、これって豊と色の漢字がが含まれてますよね。だからそのエプロンも名前に合わせて虹のように色とりどりのカラフルさなんですか?」
 何かヒロヤさんから直接ヒントが聞けるかもしれない。
 思った事を何気なく口にしてみた。
「あっ、真由ちゃん、いいところに気がついたね。その通りなんだ。すごい。真由ちゃんは鋭いね」
「真由、あんた……」
 千佳が驚いていた。
 その驚いた千佳の表情を見て、ヒロヤさんは気を遣うように優しく微笑んだ。
「それじゃ、もう分かっちゃった?」
「えっ? 分かった? 何が?」
 私はキョトンとして、ヒロヤさんを見て、その後で助けを求めるように千佳を見た。
 千佳は目をそらした。
「千佳ちゃん、別にいいよ、気を遣わなくて。僕は大切な友達には知ってもらいたいから」
 私だけが何のことか分からなかった。