キレイな顔立ちにもテキパキした手際にも、感情はうかがえない。あたしは、麗先生の作業が一段落するのを見計らって、口を開いた。
「えっと、麗先生、この間、あれから大丈夫でしたか?」
 麗先生は肩をすくめた。チラリと苦笑い。
「大丈夫よ。気にしても仕方ないわ。朝綺はやたら壮悟の肩を持つし」
 朝綺先生はニヤリとした。
「おかげさまで。優歌も、気にしてくれてありがとな」
「いえ、あたしは何も。でも、朝綺先生が壮悟くんの肩を持つのは、どうしてですか?」
「共感できるんだよな。十代の自分を思い出すんだ。おれもかなり生意気で、無茶ばっかりしてたから。病気のことで親とケンカして、実家を飛び出して、介助士のサービスを使いながら一人暮らしして、体のギリギリまで無理して、好きなゲーム作りして」
 界人さんがクスクス笑った。
「嵐みたいなやつだなって思ったよ。大学で初めて会ったとき。いつの間にか、ペースに巻き込まれてた。気付いたら、ぼくはヘルパーになってたよ。当時は朝綺専属だったね」
「おれは頼んでないぜ。界人が生まれつき世話焼きだっただけだろ」
「まあね。天職だよ」
 笑い合う二人はまぶしくて、あたしは目をそらすように、壮悟くんの寝顔を見下ろした。熱が出て苦しいのか、壮悟くんはかすかに眉をひそめている。
「あたし、さっき、初めてきちんと壮悟くんと話しました。壮悟くん、一生懸命ですね。すごくジタバタしています。すごいなって思いました」
 界人さんはメガネを外した。上着の胸ポケット出した布でメガネを拭きながら、界人さんは柔らかい声を紡いだ。
「壮悟くんが反抗したり、逃げ出したり。いろいろ大変だって噂は聞いてるよ。珍しいタイプの子だね」
 界人さんの素顔、初めて見た。意外に涼しげでセクシーな目元だ。メガネをかけたほうが優しい印象になる。
「珍しいタイプって、どういうことですか?」
 界人さんはメガネをかけ直した。
「ショッキングな言い方になるかもしれないけど、病気に対して受け身な患者さんのほうが多いんだ。よくも悪くも、あきらめてる人。これが自分にとって分相応だ、って」
「分相応……」
「特に、生まれつきのまひや病気の人。ぼくは普段、そういう患者さんと接してる。みんな穏やかなんだよ。自分の症状や寿命を、悲観も楽観もしない。それが運命なんだって、案外ケロッとして受け入れてる」
 わかる気がする。あたしも自分の症状を受け入れているから。だって、仕方ないでしょう? 症状のことを思い嘆く時間があるなら、同じその時間で別のことをしていたい。
 朝綺先生がニッと白い歯を見せた。
「おれは全力で拒否したけどね。自分の運命を受け入れること。不治の病とか冗談じゃねえって」
 界人さんはなつかしそうな目をした。
「朝綺は特別だよ。やりたいことがたくさんあって。叶えたい夢があって。死神にケンカ売ってでも生きようとしてた」
「で、お姫さまの助けを得て、死神とのケンカに勝って、今に至るわけだ。壮悟も同じさ。あいつもきっと、死神も病魔も克服する」
 みんなの視線が壮悟くんに集まった。壮悟くんは眠っている。夢でも見ているのか、乾いた唇が時折、何かを訴えるようにゆるゆると動く。閉じた目尻から、不意に、つぅっと涙が流れた。
 どうして泣くの? 何の夢を見て泣いているの?
 朝綺先生があたしを呼んだ。
「優歌、心配すんな。壮悟はすぐ回復するよ」
「……はい」
「望たちが毎朝、迎えに行ってんだって。壮悟を食堂や院内学園に引っ張り出そうとしてさ。知ってたか?」
「はい。望ちゃんから聞きました。壮悟くん、あたしたちのところに来てくれたらいいですね」
 やがて小児病棟の看護師さんがやって来た。看護師さんは、麗先生から壮悟くんの状態を聞いて、電子カルテに細かく打ち込んでいく。
「そろそろ退散すっか」
 朝綺先生の一言を合図に、あたしたちは壮悟くんの病室を出た。
 界人さんが腰に手を当てて体をそらした。
「うぅ、やっぱり腰に来るなぁ。腰痛はヘルパーの職業病だね。パワードスーツをもっと使いこなさないと」
 麗先生が腕組みをする。
「おにいちゃんはもともと筋力がないもの。暇なときはプールにでも通いなさい。腰痛も、専門医に診てもらうべきよ。体を壊して動けなくなったら、本末転倒でしょ」
「ミイラ取りがミイラになっちゃう感じですね」
 朝綺先生が、ゆっくり右手を持ち上げた。肩のあたりで、一度だけ手を振る。
「それじゃ、優歌。今晩も八時にログインでいいか?」
「はい、大丈夫です」
「夜更かし続きで悪ぃな。無理はするなよ。じゃあ、後でな」
 朝綺先生と麗先生と界人さんは、一般病棟のほうへ歩いていった。朝綺先生のリズムに合わせて、三人で楽しそうにしゃべりながら。
 大人になっても仲がいい人たち。恋人同士と、親友同士と、兄妹。
 うらやましいなと思った。あたしも将来、あんな人間関係の中にいたい。あたしには姉と妹がいて、仲がいい。親友は、望ちゃんかな。でも、恋人はいないし、いたことがない。
「恋人……好きな人、か」
 まだ、次には進めない。
 ただ、気になる人がいる。
 壮悟くんの眠った顔だけ、頭に浮かんだ。沖田さんでも斎藤さんでもなかった。