きみと駆けるアイディールワールド―青剣の章、セーブポイントから―

 ここは四角い庭の角のあたりだ。秋バラの茂みの陰になった場所。ぐるりと見渡したとき、庭にほかの誰かがいることに気付いた。
 茂みの隙間から見えた。小さな庭の反対側の隅っこに、ベンチがある。男の人と女の人がいた。笑い合っている。
 気付かなかったなんて。大好きな声なのに。
「ほんと、料理が上達したよな、麗」
 朝綺先生。
 優しいだけじゃなくて、甘い笑顔だった。先生としての普段の顔じゃないって、あたしには直感的にわかった。
 朝綺先生は、麗先生の前だから、そんな笑い方をするの?
 麗先生は、今は白衣を着ていない。シンプルなワンピースだ。ふわっとした色が似合っている。ひざの上には、大き目のお弁当箱がある。
「料理は、やったことがなかっただけよ。あたしは、やれば何でもできるの。上達して当然でしょ」
 ツンとした言い方だけど、意地悪そうに振る舞うのは口調だけだ。お弁当箱から何かをすくうスプーンの手つきは、この上なく優しい。麗先生は朝綺先生の口元にスプーンを運ぶ。パクッと、スプーンから食べる朝綺先生。
 ただの食事介助、には見えなかった。
 麗先生は、自分の口にも食事を運ぶ。朝綺先生と同じスプーンで。
「朝綺、お茶いる?」
「もらう。ああ、タンブラーくらい、自分で持てるよ。ストロー差してあるし」
 あたしの隣で、壮悟くんが声をひそめた。
「あの二人が付き合ってるって噂、マジなんだ?」
「付き合ってる? そんな噂あるんですか?」
「風坂麗が万能細胞による医療技術をマスターした理由は、恋人のためだっていう噂がある。つまり、最初の患者は自分の恋人で、人体実験って言えるくらいの無茶な治療だけど、恋人を生かすためにやってのけたんだって」
 恋人。朝綺先生と麗先生が、恋人同士。
 胸が痛い。心臓が打つたびにバラバラになりそう。痛い、痛い、痛い。
 秋バラの茂みの向こうに見える二人は美男美女で、お似合いで、それに、噂が本当だとすれば、命を懸けた絆で結ばれているはずで。他人が割り込む余地なんて少しもない。
 目を背けたい。目がそらせない。
 あたしが気付いていなかっただけで、二人はたぶん、あたしたちより前から庭にいた。同じスプーンでの二人の食事が終わって、麗先生がお弁当箱にふたをする。
「朝綺は近ごろ、何でも食べられるようになったわね」
「胃腸の機能はけっこう完全に近いよ。まあ、量はあんまり食えねぇけど。不随意筋《ふずいいきん》のほうが先に回復した形だな。肺と心臓がいちばん早かったし」
 不随意筋。自分の意識とは関係なく動く筋肉のことだ。内臓を形づくる筋肉がそう。朝綺先生は、筋肉が動かなくなっていく病気を持っていたと、この間言っていた。
「随意筋のほうはやっぱり時間が多少かかるのね。随意筋を動かす指令の出し方を、脳がもう覚えてないのよ。朝綺は電動車いすやロボットアームを使っての生活が長かったんだから」
「飯くらいスマートに食えるようになりたい」
「焦らないの」
 朝綺先生がいたずらっぽく笑った。
「でも、たまにはいいよな。こうやってお姫さまに食事の世話してもらうのも」
「何を甘えてるのよ?」
「甘えさせてくれよ。おれ、リハビリも検査もテストも、一日もサボってないんだぜ。たまにはご褒美をもらったっていいはずだ」
 違う。知らない。
 朝綺先生がこんな甘い声をしているなんて、あたしは知らなかった。悲しい色をした心臓が飛び出してしまいそうで、あたしは口を押さえた。
 麗先生が小さなケースのふたを開けた。
「林檎も食べる?」
「ん、食べる食べる」
 ピックに刺された、くし切りの林檎だ。麗先生に差し出されて、朝綺先生の口が、サクッとかじり取る。
「味、どう? 共同研究してるラボからもらったの。その林檎も、遺伝子のじっけ……」
 麗先生の言葉は、途中で食べられた。朝綺先生が、麗先生に、キスしている。
 やだ。
 見たくない。
 麗先生が目を閉じる。朝綺先生が首を傾ける。大人のキスは深くて、きっと、甘い秘密の林檎の味がする。
 見たくないのに。
 キスがほどかれる。唇は離れても、見つめ合う目は近い。
 朝綺先生の腕がゆっくりと持ち上がる。麗先生は林檎のケースをベンチの上に置いた。二人の距離がゼロになる。ふわりと、朝綺先生が麗先生を抱きしめた。
 ガラスの庭の中では、風もない。しんとしている。
 自分の心臓の音だけが、うるさく鳴っている。
「麗……」
 秋バラよりも、さわやかで甘い声。
 朝綺先生はもっと儚い存在だと思っていた。恋人を抱きしめることができるって知らなかった。
「力が強くなったわね」
「これが今のおれの全力。すぐ疲れちまうから、お姫さま専用な」
「当たり前でしょ?」
 クスクスと笑い合う声。
「なあ、今夜、来れる?」
「行ける予定よ」
「よっしゃ、頑張ろ」
「頑張るって何よ?」
「いくらおれでも、昼間っから口に出せねぇよ。それとも、言わせたいわけ? お姫さまのエッチ」
「ば、バカ」
「知ってる」
「……そろそろお昼休み終わっちゃう。行かないと」
「わかった。じゃあ、夜を楽しみに、リハビリ頑張るとするか」
 甘い約束を交わした二人が庭を出ていく。寄り添い合って、ときどき笑いながら、ゆっくり歩いていく。
 頭の中が真っ白だった。何も考えられなくて。動けなくて。
 失恋したんだ。
 あたし、また失恋した。勝手に好きになって、勝手に失恋して、悲しくて悔しいけど、こんな気持ち、誰にぶつけようもない。
「何で……」
 つぶやいたら涙が出た。
 壮悟くんが立ち上がった。そうだ。この人、隣にいたんだ。忘れていた。
「おい、あんた。いつまでここにいるつもりだ?」
「…………」
 あたしは座ったまま壮悟くんを見上げた。壮悟くんは、驚いた顔をした。
「な、何だよ、どうして泣いてんだよ? おれのせい? いや、もしかして……あんた、朝綺ってやつのこと好きなのか?」
 壮悟くんの言葉が胸をえぐった。あたしの涙が止まらなくなる。壮悟くんはそっぽを向いて、あたしに手を差し出した。
「立てよ」
「…………」
 あたしは黙ったまま、動かずにいた。そうしたら、壮悟くんの手があたしの腕をつかんだ。グイッと引かれて無理やり立たされる。
「泣くなら、部屋で泣いてろ。そんな顔、見せるな」
 壮悟くんが歩き出す。
 引っ張られて、あたしも歩き出す。
「……きみには関係ないです」
「うるせぇよ。黙ってろ。ムカつく。あんたも飛路朝綺も風坂麗も、すげぇムカつく」
 階段ではなくエレベータを使った。空中回廊を通って、小児病棟に戻る。
 病棟特有のにおいがする場所まで来ると、壮悟くんはあたしの手を離した。つかまれていたところがジンジン痛い。
「ここから先、泣くなよ。おれが泣かしたみたいに見えるんだからな」
 壮悟くんがあたしに背中を向ける。あたしはのろのろと、その背中を追いかけた。置いていかれると思ったけれど、壮悟くんはずいぶんゆっくり歩いていた。
 自分の病室に戻ったあたしは、ログインまでの間に涙を枯らそうと思った。
 枕に顔を押し当てて、泣いた。
 ログインしたら、みんなもう揃っていた。ラフ先生とシャリンさんとニコルさんが、新撰組の屯所でアタシを迎えてくれた。
「お待たせしました」
 笑顔であいさつをする。うん、大丈夫。優歌の目は赤く腫れているけれど、ミユメはちゃんと笑顔だ。
 部屋に沖田さんの姿は見えない。斎藤さんが刀の手入れをしていた。浅葱《あさぎ》色の羽織は、部屋の隅にたたんで置かれている。白いハトがくつろいだ様子で、とことこと部屋の中を歩いている。
 斎藤さんが顔を上げた。
「池田屋への突入から、もう八ヶ月。早いもんだ。年が明けても、京は寒くてかなわん」
 部屋には火鉢がある。アタシは水と氷の魔法に特化していて、寒さには強い。ラフ先生たちも防寒は万全で、対大気防御のアイテムを装備している。
 屯所の庭では、隊士たちが剣術の練習をしていた。にぎやかな声が響いている。はだしで木刀を振りながら、汗びっしょりだ。
「新撰組、にぎやかになりましたね。池田屋事件の後に、もう一つ、大きな活躍があったんでしょう?」
 アタシが言うと、うなずいた斎藤さんの頭上に選択肢のポップアップが表示された。斎藤さんルートのダイジェストムービーを見ますか、という質問だ。沖田さんルートで池田屋事件があっていたとき、斎藤さんルートでは別のエピソードが展開されていたらしい。
「どうする、ミユメ?」
 ラフ先生の問いに、アタシは斎藤さんのほうだけ向いて答えた。
「お願いします」
 ディスプレイが切り替わる。
 エピソード名は、禁門の変という。池田屋事件で新撰組の実力が知れ渡って、それから一ヶ月ほどして起こった事件だった。
 禁門というのは、天皇が住まう御所の門、という意味だ。
 その事件は、京の町の中で起こった大戦闘だった。池田屋事件で倒した敵と同じ陣営の志士たちが、大挙して武装し、御所へと詰めかけようとした。新撰組は幕府から要請を受けて出陣。御所の禁門を背に守って戦った。
 激しい戦いだった。鉄砲や大砲が火を噴いて、すさまじいエネルギーが両軍からぶつけられる。京の町の家々も燃えた。
 新撰組を擁する幕府軍は勝った。新撰組の活躍も認められた。池田屋事件と禁門の変。この二つの戦闘での大手柄によって、新撰組は華々しく生まれ変わった。
 斎藤さんは、口元を小さく微笑ませた。
「徳川の将軍と、会津《あいづ》の殿さま。ご両人から、たんまり褒美をもらった」
「会津の殿さま?」
「オレたち新撰組の直接の上司だ。『新撰組』の名付け親でもある」
「武士にも上司っているんですか?」
「当然だ。武家は将軍を頂点として、厳しい上下関係を定められている。そうした上下関係の固定化によって秩序を保ったのが、徳川幕府の治下の世の中だ」
 ニコルさんが話に首を突っ込んできた。
「新撰組はもともと、その上下関係の厳しい武家社会からはみ出してしまった若者の集団だった。浪人といって、武家に生まれたけれども仕事のないゴロツキみたいな人もいたりしてね」
「あ、なるほど。はみ出し者ばっかりだったから、新撰組にはお金がなかったんですね」
「そうだね。沖田総司くんや斎藤一くんも貧しい家の出身だし、そのまま実家にいても、武士としての仕事には就けそうになかった。だから、同じような立場の、実力を示すことで仕事を得ようとするメンバーと一緒に、新撰組を盛り立てている」
 ラフ先生がニコルさんの隣に立った。カメラアイにそれをとらえた途端、アタシは斎藤さんのほうに向き直った。ラフ先生の声だけは避けようもなく、ヘッドフォンから聞こえてくる。
「実力を示すことで出世っていうのがもう、動乱の時代だよな。二十一世紀の今とは違って、自由に仕事を選んだり、能力に見合うところで働いたりなんて、江戸時代のそれまでの社会だったら、考えにくかった」
 斎藤さんのAIがアタシの視線を感知したらしい。斎藤さんは小首をかしげて口を開いた。
「何か問いたいことでも?」
「えっと、会津のお殿さまって、どんなかたなんですか?」
「病弱だが、気骨のある殿さまだ。京の治安維持の仕事を将軍に任じられている。オレたち新撰組はもともと、野良犬の集団のように、京の町の厄介者扱いされていた。そんな集団の飼い主なんて、普通は引き受けたくもないだろうが」
「でも、会津のお殿さまは、新撰組を大事にしてくださるんですね?」
 小さく微笑んで、斎藤さんはうなずいた。
「オレは、あの人のことは嫌いじゃない」
 不意に外が騒がしくなった。木刀を振るう掛け声が止まって、わらわらと、ばらけた歓声があがる。
「近藤さんだ!」
「局長、御所へ行かれるんですか?」
「すごい、カッコいいっす!」
 アタシはふすまを開けた。庭の一角に、近藤さんが姿を現したところだ。みごとな甲冑姿。髪もピシッと結ってあって、背も高いから堂々としている。隊士たちは汚れるのもかまわず、ひざまずいて近藤さんを見上げている。
「見違えますね!」
 アタシは手を叩いた。
 近藤さんはアタシを目に留めたけど、一瞬チラッと笑っただけだった。池田屋のときは頭をポンポンしてくれたのにな。ちょっと遠い人になってしまった感じ。仕方ないか。新撰組は立派になって、そのリーダーである近藤さんも大出世したのだから。
 シャリンさんは腕組みをほどかず、鼻を鳴らした。
「イヤな感じね。調子に乗ってて」
「え? 近藤さんのことですか?」
「さっき、永倉新八っていう、昔からのメンバーもぼやいてた。一連の手柄があって昇進してから、近藤はチャラチャラしてるって。腰ぎんちゃくを連れて威勢がいい割に、人と語り合うことをしなくなった。人の批判を受け入れなくなってしまったって」
 斎藤さんが苦い顔をした。
「オレもシャリンに同意する。近藤さんは勘違いしている。オレたちは、子分じゃない。同志なんだ」
 斎藤さんは、この話はおしまい、と言うように刀の手入れを終えた。スッと鋭い音をたてて刀を鞘にしまう。
 廊下から静かな足音が聞こえた。
「斎藤、ちょっといいか?」
 障子が開けられる。そこに立っていたのは、副長の土方さんだった。
「なんだ、全員ここにいたのか。このきまじめな斎藤と一緒にいて、楽しいか?」
「きまじめ、か。土方さんに言われたくない」
「オレは、羽目を外すときは外している。むさくるしい屯所ではなく、華やかな花街でな。浮名を流すのも男のたしなみだぞ、斎藤」
 土方さんは、ずば抜けてキレイな顔立ちをしている。髪も服もピシッとしていて、いかにも大人っていう「きちんと感」がセクシーだ。ただ、少しナルシストかも。土方さんの部屋にお邪魔したときには、箱いっぱいのラブレターを自慢された。
 斎藤さんはクールに、土方さんのモテ自慢を受け流した。
「副長自ら足を運ぶとは、何か機密に関わる用事か?」
 土方さんは眉間にしわを寄せた。
「ああ。よくないことが起こった。斎藤と、シャリンとニコル。探してほしい人物がいる。行き先はつかめているから、居場所を確認して、オレに報告を上げてほしい」
「わかった」
「詳しくはオレの部屋で話す。来てくれ」
 斎藤さんはシャリンさんとニコルさんを連れて、部屋を出ていった。
「秘密の任務なんですね」
「斎藤は、土方のスパイとして働いてるんだ。戦って強いだけじゃなく、頭が切れる男なんだろうな」
「そ、そうなんですね。へー」
 ラフ先生と二人きりになってしまった。気まずい。昼間のことを思い出してしまう。朝綺先生が恋人と過ごしていた、甘い時間のことを。
「さて、ミユメ。斎藤のルートに進展があったってことは、オレたちのほうもストーリーが進むはずだ。沖田を探しに行こうぜ」
「あ、は、はい、そうですねっ」
 アタシたちも部屋を後にした。庭で稽古をしている中に、沖田さんの姿はない。
 藤堂さんがアタシに気付いて、飛んできた。
「あっ、ミユメ! 暇なの?」
 藤堂さんは、小柄で愛敬のあるイケメンさんだ。気さくでしゃべりやすいけれど、アタシは目のやり場に困った。木刀をかついだ藤堂さんの上半身、裸なんですけど。
「お、沖田さんを探しているんです」
「総司? このへんにはいないよ」
 ピアズのCGはリアルすぎる。藤堂さんの裸の胸に、光る汗が流れた。アタシはドキッとしてしまう。ピアズに匂いは実装されていないけれど、リアルだったら、汗と肌の匂いがするはずだ。
 また、昼間のことが頭によぎった。壮悟くんの肌の匂いを思い出した。
 アタシは藤堂さんから顔を背けた。
「沖田さんが行きそうなところ、知りませんか?」
「んー、どこだろ? 近藤さんに付いていったわけじゃなかったし、部屋にもいなかったしなぁ。たまに炊事場でつまみ食いしてるけど」
「炊事場、ですか?」
「なあ、それより、ミユメ。総司じゃなくてオレと……」
「失礼します!」
 アタシは回れ右した。縁側を速足で歩き出す。ラフ先生が笑いながら追いかけてきた。
「藤堂平助のこと、苦手か?」
「苦手っていうか」
「親しみやすいキャラだと思うけど」
「フレンドリーすぎます」
 炊事場には、優しいニコニコ顔のおじさんがいた。サムライらしいヘアスタイルをしている。頭のてっぺんだけを剃っていて、後ろ髪をちょんまげにしたスタイル。
 そうそう、新撰組のメンバーは案外、髪を剃っていない。前にこのことを朝綺先生に尋ねてみたら、「江戸時代のスタンダードをぶっ壊してやろうっていう幕末の若者には、剃ってねぇやつもけっこういたみたいだぞ」という答えが返ってきた。
 サムライヘアのおじさんは、料理人みたいに、たすき掛けをして、前掛けを付けていた。背筋がピンと伸びて、品がいい感じだ。
「アナタたちが噂の助っ人か。歌姫ミユメと、剣士ラフ。お初にお目にかかる。私は井上源三郎という」
 ラフ先生はその人を知っていた。
「おお、アンタが源さんか。やっぱイメージどおりだ」
「ワタシのことをご存じか。総司が何か言っていたかな?」
 単純に、ラフ先生が新撰組に詳しいからなのだけれど。アタシは源さんに訊いた。
「沖田さんを見かけませんでした?」
「総司を? いや、見ていないよ。稽古の指南役でもしているんじゃないかい?」
「庭には、いないんです」
「そうか。アイツの稽古は厳しすぎて、不評だしな」
「厳しすぎるんですか?」
「ああ。総司が要求する水準は、一般の隊士にとって高すぎる。総司は剣の天才だ。同じようにできる者ばかりじゃない」
「なるほど」
「その点、ワタシは剣が下手だからね。同じように下手な者に教えるのは得意だよ」
 源さんが炊事場にいたのは、当然ながら、料理をするためだった。京に出てくる前、江戸に住んでいたころは、近藤さんの道場にみんな集まっていて、源さんが道場の料理係だったんだって。
 人がよさそうな源さんは、沖田さん探しのヒントをくれた。
「稽古に出ているわけでも、部屋にいるわけでもない。近藤さんや土方さんとも一緒にいなかった。となると、屯所の外かな。子どもの声がするほうを探してみるといい」
「ありがとうございます!」
 ゲームをやり慣れていれば、ストーリーが進んだぞっていう瞬間が直感でわかるようになる。今のセリフもそう。もうすぐ沖田さんをつかまえられる。
 屯所の外に出たら、子どもが歌う声が聞こえてきた。
「まるたけえびすに
 おしおいけ
 あねさんろっかく
 たこにしき
 しあやぶったか
 まつまんごじょう」
 古い和風の音階を使った、シンプルな童謡だった。童謡が聞こえてくるほうへ、アタシとラフ先生は行ってみた。
 子どもたちが笑いながら歌っている。下は四歳くらいから、いちばん大きくても八歳くらいまで。輪になった子どもたちの真ん中に、スラリとした青年がいる。
「沖田さん、いましたね」
「そういえば、そうだったな。沖田はよくサボって近所の子どもらと遊んでたって」
「史実なんですか?」
 おませな感じの女の子が、沖田さんを見上げた。
「沖田センセ、覚えはった? 京の通りの名前の唄やねんで。早よ覚えんと、迷わはるえ」
「覚えたよ。一緒に歌おうか」
 高い子どもたちの声に、沖田さんの柔らかく低い声が交じる。
 元気な男の子が、沖田さんの腰に飛び付いた。沖田さんが腰をかがめると、男の子は沖田さんの背中によじ登る。背中の上で、男の子が言った。
「なぁ、沖田センセ、今日は山南《さんなん》センセ、いはらへんの?」
「山南さん? ボクは見かけてないけど」
「このごろ、山南センセ、遊んでくれはらへんねん。どないしてはるん?」
「んー、ボクも山南さんとは最近、行き違いなんだよ」
 沖田さんがアタシたちに気付いた。屈託のない笑顔で手を振ってくる。
 アタシとラフ先生は子どもたちの輪に近付いた。子どもたちは興味津々で、口々にしゃべりかけてきた。
「二人とも新撰組なん?」
「女の人でも新撰組になれるん?」
「あんな、新撰組って怖いねんで」
「でも、沖田センセと山南センセは違うねん」
「ウチらと遊んでくれはるんえ」
 沖田さんは両腕に子どもをぶら下げて、背中にも子どもをくっつけている。
「ボクに何か用事? 斎藤さんと一緒にいたんじゃないの?」
「斎藤は、土方に用事を言い付けられてたよ。裏で何か探ってくる用事らしい」
「へぇ、そうか。斎藤さんが動いたってことは、厄介ごとかな? 何にしても……」
 沖田さんの言葉の途中で、子どもたちが「あっ!」と声をあげた。沖田さんの両腕と背中から、子どもたちが離れる。
 アタシは振り返った。斎藤さんがそこにいた。肩に白いハトが止まっている。シャリンさんとニコルさんも一緒だ。
「沖田さん、仕事だ」
 斎藤さんがこちらへ近付いてくる。
 と同時に。
「きゃあ、逃げるで!」
「お仕事やて!」
「邪魔したら斬られるんやで!」
「沖田センセ、さぃなら!」
 子どもたちが一斉に逃げ出した。
 沖田さんは、軽くなった手でポリポリと頭を掻いた。
「顔が怖いんだよ、斎藤さん。子どもたちの前では笑ってやって」
 斎藤さんはそっぽを向いた。
「この顔は生まれつきだ」
「まあ、確かに、整った顔立ちで目に力があると、子どもたちはどうしても怖がるけど。とはいっても、毎回こうやって逃げられちまうのはもう、一種の鬼ごっこだよなあ」
「鬼で悪かったな」
 沖田さんの足下に、いつの間にか、黒猫のヤミがすり寄っている。
「それで、ボクに仕事って何?」
 斎藤さんは一言、短く告げた。
「山南さんが脱走した」
 沖田さんの顔色が変わった。消し損ねた笑みに、口元が引きつっている。
「脱走? 冗談でしょ。山南さんが、そんな」
「冗談なんかじゃない。嘘でもない」
「信じられない」
「山南さんが新撰組を抜けた。今、居場所を確認してきた。土方さんがつかんでいた情報のとおり、山南さんは脱走して、もう京の町にはいない」
 脱走の話は前にも聞いた。新撰組は、逃げる者を許さない。新撰組を抜けた者に与えられる末路は一つ。斬る。
 アタシは沖田さんの蒼白な顔を見上げた。
「山南さんって、さっき子どもたちが言っていた人ですよね?」
「…………」
 沖田さんは応えない。斎藤さんが、代わりに応えた。
「新撰組総長、山南敬助。京の町へ出てくるより前、江戸の試衛館で過ごしていた時代からの同志だ。オレたちの兄貴のような人だ」
 沖田さんがパッと走り出した。斎藤さんを突きのけて、屯所へと駆け込んでいく。アタシはとっさに沖田さんを追った。
 わらじを脱ぎ散らして玄関を上がった沖田さんは、まっすぐに土方さんの部屋へ走った。
「土方さん!」
 沖田さんは勢いよくふすまを開けた。土方さんは書類から目を上げた。
「ああ、総司か。どこで遊んでいたんだ? 斎藤に伝言を頼んだはずだが」
 沖田さんは土方さんに詰め寄った。
「山南さんが脱走って、どういうこと?」
「言葉のとおりだ。山南敬助が無断で新撰組を抜けた」
 沖田さんは声を震わせた。
「どうして、山南さんが脱走なんか……」
 土方さんが目を伏せた。まつげの影が頬に落ちる。
「どうして? それがわかれば、苦労はしない」
「苦労って」
「いや、言い方がおかしいな。苦しいよ。どうして山南さんが脱走したのかを考えると、胸が苦しくて仕方がない。新規の隊士ではなく、古くからの仲間が、どうして……」
 斎藤さんが淡々と言った。
「山南さんの部屋に置き手紙には、江戸へ行くという一言だけが書かれていた。でも、本気で江戸に向かうつもりはないんだと思う。今、大津にいる。大津から動く気がないのも確認してきた」
 大津は、京から東へ山を越えた先だ。山中越《やまなかごえ》というルートが、斎藤さんの説明とともに、マップ上に表示される。
 土方さんが顔を上げた。ポーカーフェイスに戻っていた。土方さんは沖田さんに告げた。
「新撰組一番隊組長、沖田総司に命ず。ただちに出立し、山南敬助を捕縛せよ」
 沖田さんは呆然と目を見開いている。
「本気で言ってるの? 山南さんをつかまえて、斬れって?」
 斬ることをためらう沖田さんなんて、思いも掛けなかった。脱走した元隊士を斬るという話をしたときも、妖と化した敵と戦うときも、沖田さんは、刀を振るうことを残酷なくらいに楽しんでいたのに。
 それだけ山南さんという人が特別だということ、昔からの仲間がかけがえのないものだということだ。
 斎藤さんが見かねたように進み出た。
「土方さん、オレが行こうか?」
 沖田さんがハッと斎藤さんを見る。
「斎藤さん、何言ってんの?」
「沖田さんじゃ、山南さん相手に本気を出せない。でも、オレなら心を殺して戦える」
「そんな言い方」
「山南さんも力場使いだぞ。しかも、チカラの完成度は、沖田さんより上だ」
 沖田さんは唇を噛んだ。右手の甲を見る。つながりきっていない円環の紋様が、鈍い色に沈んでいる。
 斎藤さんが左の籠手《こて》を外した。手の甲に、完成した紋様がある。青白い円環だ。冷たくてまがまがしく、同時に美しい。
 土方さんが、かぶりを振った。
「いや、総司を行かせる。総司じゃなけりゃダメだ」
「ボクが……どうしても、行かないといけない?」
 土方さんは沖田さんの肩に手を載せた。秀麗なポーカーフェイスが崩れた。弱々しいような微笑だった。
「つかまえて連れてくるだけでいい。話がしたいんだ。近藤さんもオレも、山南さんと、腹を割って話がしたい」
 沖田さんの顔に表情が戻る。大きな目に希望の光が差した。
「連れて帰ってくればいいんだね? 山南さんのこと、酷く扱ったりしないね?」
 土方さんはうなずいた。
「約束する。この一件に関しては山南さんをとがめない」
「二言はないよね? その言葉、信じるよ?」
「ああ。総司だからこそ、この役目を果たせると思う。山南さんは他人に心を見せない。だが、子どもらと総司の前では別だ。本当の顔で笑っていた」
「ひどいな、土方さん。ボクは子どもと同じくくりなの? でも、いいよ。わかった。ボクが山南さんを連れ戻してくる。必ず一緒に、ここに戻ってくるよ」