壮悟くんが鼻を鳴らした。
「そこの制服着てるちっちゃいの、誰? 聞いてたのは、サイエンティストとマウスが来るって話だけだったんだけど」
 あたしは慌てて居ずまいを正した。
「申し遅れました。あたしは遠野優歌といいます。小さいころからこの病院にお世話になっていて、院内学園で勉強しています。高校二年生、十七歳です」
 あたしはペコッと頭を下げた。顔を上げたら、壮悟くんが目を丸くしていた。
「高二? おれより一個上? マジで? 年下だと思った」
 ……自覚はあるけど。背は低いし、童顔だし。
 逆に壮悟くんは大人っぽい。ちょっと怖いけど。口も悪い気がするけど。
 いや、ひょっとしたら壮悟くん、初対面で緊張しているのかも? そうであってくれたら、いいのにな。
 あたしは笑顔を作ってみせた。
「壮悟くんは同じ高校生だから嬉しいです。院内学園には年の近い子がいなくて。よ、よかったら、仲良くしてくださいね」
 でも、壮悟くんの態度は堅かった。壮悟くんは小さく鼻で笑うと、そっぽを向いた。
「先輩風、吹かせるなよ。院内学園? 興味ないし。勉強くらい、自分でできる」
「で、でも、あの」
「それに、おれには役目があんの。女サイエンティストの新しいマウスになるっていう、重要な役目がね」
 マウス、という単語には皮肉な響きが込められていた。ただのネズミのことを指しているわけではないと、あたしは感じた。
「どういう意味ですか?」
「実験動物って意味」
「だから、それってどういうことなんですか?」
「そのまんまの意味だってば」
 壮悟くんは小さく笑いながら麗先生を見た。
 麗先生が口を開く。でも言葉が出てこない。握ったこぶしが震えている。
 爽やかな声が優しく響いた。
「はいはい、ストップ。麗、ちょっと肩の力を抜け。役目がデカくてピリピリするのもわかるが、そんなんじゃ身が持たねぇぞ」
 朝綺先生が微笑んでいる。
 あたしはちょっと驚いた。あんなに有名なお医者さまのことを、麗って、呼び捨てにするんだ。ずいぶん親しいみたい。
 朝綺先生はあたしのほうを向いた。
「優歌は、臨床《りんしょう》って言葉、わかるだろ?」
「医療の実際の現場っていう意味ですよね?」
「うん。じゃあ、臨床試験ってのもわかるよな?」
 新しい治療法の確立やお薬の開発のための、実際の医療現場での試験だ。従来の治療法やお薬じゃないものを患者さんに試してみて、経過を調べる。
 そんなふうに、あたしは答えようとした。
 壮悟くんが答えるのが先だった。
「動物実験の人間バージョン、だろ」
 壮悟くんは皮肉っぽく笑っている。あたしは悲しくなった。
「そんな言い方しないでください!」
 思ったより強い声が出た。密閉された病室に、リン、と反響する。あたしは、トーンを落として繰り返した。
「マウスとか動物実験とか、意地悪な言い方をするのはやめてください」
 壮悟くんの顔から、スッと笑みが消えた。でも、まなざしは強い。
「何が違うっていうんだ? おれの命、自分のもんじゃないんだぜ。サイエンティストに運命を握られてる。実験動物と、どこが違うんだよ?」
 壮悟くんの目は、真っ黒でまっすぐだった。壮悟くんの本当の顔を見ている気がした。変に笑っているより、ずっと人間らしく見えた。