「家まで送ろうか?」
 風坂先生に訊かれた。学校からの帰り道と同じ言葉だ。あたしの状況も、やっぱり学校帰りと同じ。
「家には帰れません。瞬一と顔を合わせたくなくて」
「ケンカしたの?」
「はい。あたし、瞬一のことを傷付けすぎました……」
 瞬一の怒りと苛立ちの涙が、あたしの胸に刺さってる。瞬一が吐き捨てた口調は、聞いたことないほど荒かった。暴力の衝動を抑え込んだ腕が、わなわな震えてた。瞬一が怖かった。
「姉弟同然で育ってきた。ひとつ屋根の下で、同じ飯を食って。従姉弟で生まれたけど、今は、戸籍上も姉弟だ。おれの感情は、倫理的にも社会的にも認められない。わかってるのに、どうしようもねぇんだよ!」
 瞬一があたしに対してクールなのは、自分の感情をコントロールするためで。
「ガキのころはまだよかった。今は違う。こんな気持ち、さっさと葬り去らなきゃマズい。間違いを犯したくない。この家ん中は怖い。風呂に入るときも寝るときも、壁1枚あるだけだ。おれが笑音に何を想像してるか、わかるだろ?」
 瞬一にそこまで言われたのが昨日の夜。瞬一は、制服に着替えてカバンを持って、家を出て行った。たぶん誰かの家に泊まったんだと思う。
 泊めてくれる友達が瞬一にもいるんだって知って、場違いだけど、よかったと思った。心配してたんだ。無愛想だから、クラスで孤立してるんじゃないかって。
 瞬一が出て行った後、いつの間にか涙が出てるのに気付いて、悲しい思いをしてる自分に気が付いた。瞬一に傷付けられたんだってわかって、苦しくなった。
「家には、帰れません」
 あたしは繰り返した。風坂先生がメガネのブリッジを押し上げた。大きな手で口元が隠れて、表情が見えない。
 麗さんがザッと髪を払った。
「無理に帰らなくてもいいでしょ。わたしの仮眠室を使えばいいわ。今夜は、わたしは朝綺の病室に泊まるし」
 風坂先生が、パッと顔から手を離した。
「ちょ、ちょっと待て、麗。仮眠室は、ぼくが使わせてもらうはずじゃあ……」
「問題ないでしょ? 簡易ベッドとソファがあるから、2人、泊まれるわ」
「いや、で、でも……」
「おにいちゃん、慌てすぎ。やましいことがあるわけ?」
「あ、あるわけないっ!」
 麗さんは風坂先生に向けて、ピシッと指を突き付けた。
「あくまで仮眠を取るだけよ。2時起床、即刻ピアズにログイン。いいわね? 今度こそオゴデイのAIから朝綺の意識を分離させる。絶対に」
 ピアズの連続ログイン時間は4時間まで。再ログインには4時間以上、空けなきゃいけない。さっきログアウトしたのが22時だったから、4時間後は午前2時だ。
「でも、麗さん。あたし、インできなくなるかも」
「どうして?」
「風坂先生に居場所を教えちゃったから。規約違反ですよね? ログイン制限のペナルティ、受けますよ」
「そんなことだったら、問題ないわ。わたしたちは、ピアズにとって特別だから」
「特別、ですか?」
「とにかく、おにいちゃんも笑音も、うだうだ言わないでちょうだい。さっさと仮眠を取って、次のログインに備えて」
 腕組みした麗さんににらまれた。美人が怒ると怖いですよぉ。あたしと風坂先生は朝綺さんの病室から追い出される。
 最後にチラッと、朝綺さんの寝顔を見た。胸が静かに上下して、自力で呼吸してるのがわかる。最低限の機械につながれてるだけの姿。いつでも目覚めてくれそうなのに、まぶたは開かない。