静かな声で、麗さんは続ける。
「朝綺に残された時間は短かった。だから、4年前、わたしは朝綺の体の時間を止めたの。冷凍保管《コールドスリープ》よ。人間に関しては、移植用の臓器にのみ許可されている。動物実験では、全身の冷凍と解凍、蘇生にも成功した。とはいえ、数年の冷凍に耐えた個体はまだいない」
「朝綺さんは、ただ眠ってたわけじゃなかったんですね」
「冷凍状態で眠っていたの。わたしが万能細胞による治療を完成させるまでの4年間、病状の進まない、年を取らない状態で。朝綺が生まれてから今日まで、27年が経過してるわ。眠っていた歳月を差し引けば、23歳。わたしと同い年。これがわたしの2つ目の禁忌」
 6年前に麗さんは朝綺さんと出会って、朝綺さんの病状が進んでいくのを目の当たりにした。体が動かなくなっていく。日常生活には風坂先生の手助けが必要だった。でも、朝綺さんの意識は明白で、頭脳は明晰だった。
 きっと2人で決めたことだ。禁忌を犯してでも生きる道を採ろう、って。
 4年前、冷凍保管《コールドスリープ》という時を止める眠りに就いたとき、朝綺さんの病状はどこまで進んでたんだろう? 人工呼吸器が必要だった? 心臓は自力で動かせた? ほんの少しでも、微笑むことができた?
 そして4年間、麗さんは研究に没頭した。万能細胞を使った医療技術が、実践レベルにこぎ着けた。
「つい数日前、朝綺を解凍した。瀕死ともいえる病状だけど、生きていた。すぐに手術したわ。筋ジストロフィーの要因となる遺伝子と衰えた筋肉、その両方を、朝綺自身の万能細胞で補った。手術は成功した。肉体は癒え始めてる。でも、意識が戻らなかった」
 麗さんは自分の体を抱きしめた。その肩をぽんと叩いて、風坂先生は、麗さんをかばうみたいに言葉を引き継いだ。
「朝綺の脳波を解析するために、麗のPCを使ってたんだ。6年前から継続して、ずっとね。ほとんど朝綺の脳波用のPCだった。でも、1つだけ、まったく無関係のソフトが入っていた」
「もしかして、そのソフトがピアズなんですか?」
「そういうこと。朝綺は、自分で作るくらいゲームが好きだから、病床で動けなくなっても、ピアズを観たがっていた。麗は、朝綺のそばにあるそのPCからピアズにログインして、コロシアムでの無敗記録を打ち立てたりしてね、朝綺を喜ばせていた」
 普通なんだ、って思った。退屈しのぎのためにゲームを観たいって、朝綺さんのリクエストはすごく普通の感覚だ。
「朝綺さんはピアズが好きすぎて、入り込んだんですね?」
「そうらしい。朝綺の意識が戻らなくて、絶望してたんだ。でも、この6年間、さわってもいなかったピアズが、いきなり起動した。朝綺の仕業としか思えなくて、ぼくと麗で、急いでログインして調査を始めた。それが、あのときの雪山だよ」
 医療現場からいなくなった朝綺さんの意識を、あたしが魂と呼んだ。朝綺さんの魂を探して旅をして、あたしたちはもうすぐ手に触れられそうなところに来てる。
「朝綺さんの魂とラフさんのアバターを結びつけたら、普通の状態になるんですよね? 現実に体を持ってて、意識はピアズにログインして集中してる。そんな状態だと、朝綺さんの体と意識が、ちゃんと認識してくれるんですよね?」
 麗さんが顔を上げた。大きな両目に涙が光ってる。
「確証はない。でも、わたしは信じてる。ラフとしてピアズにログインしている、という状況を自覚できれば、朝綺の意識と体はきっともとに戻る」
 麗さんはメイクしてない。目の下には隈があって、体はやせすぎだと思う。でも、こんなにきれいな人、あたしは初めて見た。
「最後までお手伝いさせてください。あたし、ほんとレベルも低いけど、朝綺さんのことを助けたいです」
 パパに似た病気で、命を賭けた「挑戦」をしてる人だ。助けたいって、心からそう思う。