初生が瞬一に告白して、3日経った。瞬一はあのとき、初生の気持ちをわかったと言った。返事をするとも言った。
「ねえ、初生、あれから瞬一と話せた?」
 初生は首を左右に振った。
「答えはもらえなくてもいいの。最初から、付き合えるはずないって、わかってた。片想いのままで十分」
「だけど、初生」
「甲斐くんの負担や邪魔になりたくない。名前を覚えてもらえて、気持ちを知ってもらえて……ぜいたくなことが叶ったって思う」
 初生のため息がお弁当箱の上に落ちた。それっぽっちでぜいたくだなんて言わないでほしい。
 あたしは空を見上げる。屋上庭園のガラスドーム越しに、今日は雲ひとつない。作り物みたいにキレイな色だ。ドームに投影された画像なんじゃないかと疑ってしまうくらいに。
 21世紀も後半に入って、空気は昔より澄んでいるらしい。人間がガラスケースの中に入って暮らすようになった効果だ。あたしたちの世代は、あまり屋外の空気を知らない。たまたま、うちの校区は通学路の歩道だけ屋外だけど。
 初生がまた、大きなため息をついた。
「大丈夫?」
「甲斐くんだったら、キッパリ断ってくれると思ってた。楽になれると思ってたのにな」
「キッパリって、そんな形で楽になんかなっちゃダメだよ」
「きっと迷惑だったよね。甲斐くんは今、恋なんて求めてないのに、わたし、自分の気持ちを押し付けてしまって……」
「そんなことないよ。っていうか、ほら、あれは事故で、もとはといえば、あたしがお節介なこと大声で言ったからだし。えっと、あたしこそ、ごめん」
 友達から始めるとか、段階を踏んでサポートできればよかったのに。あたし、いつもこうなんだ。間が悪くて、間が抜けてて。
 いや、自己嫌悪してる場合じゃないね。しっかりしなきゃ。あたしは無理やり笑顔をつくった。
「初生、お弁当、食べよう? 午後は風坂先生の授業なんだから」
「うん……」
「今日は実技の小テストでしょ。元気出していかなきゃ!」
 おとなしい初生は、実技があんまり得意じゃない。おっかなびっくりなんだ。それ以外の勉強は、すごくよくできるんだけど。
「ねえ、えみちゃんは、告白しないの?」
「前も言ったけどさ、しないというか、できないよ。風坂先生を困らせたくないもん」
「でも、先生に告白した人の話、けっこう聞くよ。卒業してすぐに結婚した先輩の話も聞いた」
「そりゃ、普通の先生と生徒なら、あり得る話だよ。でも、風坂先生は教師が本業じゃなくて、だからこそ一生懸命、教師であろうと頑張ってる。すごい努力してるのがわかるから」
「邪魔したくない? だったら、それはわたしが甲斐くんに対して思うことと同じだよ」
「んー、同じと言えば同じだけどさ、でもねー」
 好きって気持ちは、一体、何なんだろう?
 あたしは風坂先生が好きで、ニコルさんも好きだけど、とにかく恋をしていて、あったかいドキドキが胸を満たすたびに元気が湧いてくる。頑張ろうって思える。
 なのに、おかしなことだけど、風坂先生があたしと同じ恋の仕方をするところが想像できない。ニコルさんが、好きな女性を思い描くことで元気を奮う姿とか、何か違う気がして。
 同じ想いを、同じ強さで、同じ温度で、同じ感じ方で、いだくことができるならハッピーだ。そんなふうに釣り合いの取れた両想いは、初生と瞬一の間にはイメージできる。
 でも、あたしと風坂先生? ルラとニコルさん? 違うよね。
 初生が、静かな声で言った。
「怖いの?」
「怖い、かもね」
「えみちゃんらしくないよ」
「そうかな?」
「付き合ってみたいって思わないの?」
「んー、それ、よくわかんない。付き合うことが、片想いの最終目標?」
 初生はのろのろとお弁当箱の蓋を開けた。
「わたしにも、わからない。でも、えみちゃんが言ったんだよ? 甲斐くんとわたしが付き合えばいいって」
「それは本気で言ったよ。だってさ、瞬一には癒やしてくれる人が必要だから。で、一般的にいうと、それができるのは友達じゃなくて彼女のポジションでしょ?」
 初生はあたしに応えずに、黙々とお弁当を食べた。う、2人でいるのに無言はつらい。