突然、咳払いが聞こえた。男子の咳払い。っていうか、あたしのよく知ってる咳払い。
 まさか。
 あたしと初生は同時に振り返った。
「瞬一! いつからいたの!?」
 しかめっ面の瞬一がベンチの背後に立っていた。ほっぺたも耳も真っ赤。そりゃそうか。自分が恋バナのネタになってるのを聞いたんだもん。
「気付け、バカ。けっこう前からいたよ。いじめの話あたりから」
 あちゃ~。それ、ほとんど全部聞いてるじゃん。
 あたしは初生の様子をうかがった。よろしくない展開のような気がする。初生は両手で口元を覆っている。大きな目に透明な涙が盛り上がった。ヤバい、泣かしちゃう。
 瞬一があたしたちから顔を背けながらうつむいた。眉間のしわは消えないし、耳の赤さも引いてない。長いまつげの陰で、どんな目をしてるのかが見えない。低い声が、鋭い調子でささやいた。
「おれが初生さんと付き合えばいいって、それが笑音の本心なのか?」
「あれ? 瞬一、初生のこと名前で呼ぶんだ?」
「名字を知らねぇんだよ。いつも、家で笑音が『初生』って呼んで話をするから、下の名前と顔だけ知ってる」
 瞬一にとって、初生はそういう距離なんだね。付き合えばいいって発言、早まったかな。だって、まさか本人の耳に入っちゃうとは思ってなかった。
 どうしよう? これ、あたしが招いた事態だよね。どうやったら収束できる?
 初生が、そろそろと、口元の手を下ろした。かわいい形をした、ちっちゃくて柔らかいその手が、胸の前でキュッと握られる。初生は瞬一を見つめた。
「わ、わたし、遠野初生です。えみちゃんと同じクラスで、看護師を目指してます。覚えてないかもしれないけど、わたし、甲斐くんに助けてもらったこと嬉しくて、そのときから、ずっと……す、好き、でした。わたし、甲斐くんのことが、好きです」
 初生は、手も声も震えてるけど、ちゃんと目を上げていた。瞬一は地面を見たままだった。
「遠野さんのことは認識してる。いじめられてたときのことも覚えてる。気持ちも、わかったつもりだ。でも、今すぐは答えられない」
 珍しいな。瞬一が白黒ハッキリさせないなんて。初生はかぶりを振って、もう1度、震える声で告げた。
「わたしは、甲斐くんのこと、好きだけど、付き合ってほしいとかじゃなくて……ただ、好きでいさせてください。これからも。それだけです。ほんとに、それだけでいいの」
 瞬一はうなずいた。
「返事、先になるけど、ちゃんとする。今はごめん」
 息苦しそうに言って、瞬一は校舎のほうへ走って行ってしまった。
 初生が、ふーっと長い息を吐いた。それでようやく魔法が解けたみたいに、あたしの肩の力も抜けた。
「初生ー! 頑張ったね!」
 あたしは初生を抱きしめた。ちっちゃな体は、まだちょっと震えてる。
「甲斐くんね、昼休みや放課後、ここで参考書を読んだりしてるの。もしかしたら、今日も来るかもしれないって思ってた。ちょっとだけ、心の準備はできてた」
「いつかここで告白するつもりだった?」
「わからない」
「あいつがOKしてくれたらいいね」
 初生は、あたしにキュッと抱きついてきた。
「次は、えみちゃんが頑張る番だよ」
「あたし? えっ? 頑張るって?」
「風坂先生に告白」
 ぐゎん、と頭が揺さぶられた気がした。告白なんて考えたことなかった。片想いでいいと思ってた。だって、見つめてるだけで幸せなんだ。
 初生が何だか遠い。初生は告白した。想いが実るかどうかわかんないのに。それってすごく怖いことだと、急に感じた。