一般生徒の立ち入りが禁止された黒曜館の地下に温室があることを、あたしは入学以前から知っていた。明精女子学院の卒業生である母親がメールで書いて寄越した情報の一つだった。
 母親が高校生だったころ、地価の温室は、憧れを込めて「秘密の花園」と呼ばれてたらしい。学長の特別のお茶会が開かれる場所とか、世界でここにしか咲かない花がある場所とか、噂の宝庫だったそうだ。
 でも今は、極端に甘い花の香りと、血の匂いと、腐った匂いと、生ゴミみたいな匂いが、むっとするほど立ち込めている。死に満ちた退廃の花園だ。
 小さくても強力な人工太陽のせいで、ひどく蒸し暑い。
 まともに花が咲いている花壇はほとんどない。雑草が生い茂っていたり、黒い土がむき出しになっていたりと、荒れ果てている。
 いちばん奥の花壇にだけ、白いユリの花が咲き乱れている。
 あたしは、まっすぐ伸びる遊歩道を進んだ。植物の残骸。虫の死骸。壊れた机や椅子。ちぎれたぬいぐるみ。かつては動物だったはずのモノ。こんなふうに庭を荒らした人間は、正気の沙汰じゃない。
 鳥肌が立っている。呼吸をするたびに、毒素が肺に染み入ってくるみたい。
 あたしが一人で過ごす場所は黒曜館だった。窓のない小部屋も北塔も、この庭の上にある。
 こんな地獄絵が床の下に広がっていたなんて。こんな地獄絵の上で呼吸をしていたなんて。想像もできなかった。
 むせ返りそうなほどに甘い香りのユリの花の真ん中に、ベンチが置かれていた。万知はベンチに寝そべっていた。ベンチの脚で踏み折られたユリが、土に汚れている。
 万知がくすくすと笑った。
「花の中で横たわるって、なかなか気分がいいよ。メルヘンっぽいっていうか。うっとうしい害虫も出ないし。ここは中庭と違って、きちんと駆除されているからね」
 万知はベンチから身を起こして、立ち上がった。枕代わりのボロっちい何かがずり落ちた。その正体はたぶん、校門のそばの残骸の片割れだ。ほんの一日か二日前まで、イヌだったはずのモノ。
 吐き気がした。口を押さえる。
 ユリを踏み倒して、万知があたしのそばへやって来た。
「足を運んでくれてありがとう、風坂。ようこそ、わたしの秘密の花園へ。本当はもっと早くお招きしようと思っていたのだけど。座って話さない?」
 万知はユリの中のベンチを指した。
 あたしは首を左右に振る。一拍遅れて、ようやく言葉が出る。
「お断りよ」
「じゃあ、このままでいいや」
 三日月型に笑った唇を、万知がは舌でなめた。
 話をしなきゃいけない。こいつを止めなきゃいけない。悪は上手に活用されなきゃいけない。コントロールされなきゃいけない。