深夜零時のノアズアークを見に行かないか、と彼女が言った。
「先月この都市にやってきたばかりのきみですら知っている通り、ここリバーズシティはいくつもの川が縦断している。だから川の氾濫を未然に防ぐため、放電式円弧型防雨屋根――通称【ノアズアーク】が常に都市の上空を覆っている。
 きみは先日、『なんでこの都市の空は黄色かったり、オレンジだったり、赤かったりするんだ?』と私に疑問を投げかけたが、その答えがそれだ。つまりは、ドーム屋根のように都市全体を覆っている電気のアーチによって、雨を上空で蒸発させているからで、雨量が多い日の空などは黄色からオレンジを通り過ぎ、真っ赤に染まる。多くの雨を蒸発させるには、それだけ強い電気を放つ必要があるからな。
 だから、その日の天気予報が悪ければ悪いほど、この都市の空は赤に近付く。

 ところでだ。ニュースは見ているか? そうだ。今日未明、リバーズシティの下流に位置する都市イデアが、敵国から大規模な爆撃を受けた。次に標的にされる都市はどこか、対抗策は、報復は、――などと、今日はどの放送局もそればかりだ。
 ……さて。先ほど我が母上から届いた、まだ軍部にすら伝わっていない情報なのだが、くだんの爆撃に使用された爆弾が、どうやら、我々が想像だにしていない厄介な二次災害をもたらすらしい。爆発の際、爆弾を構成していた有害成分が大気中に飛散したんだ。そしてそれは一日かけて雲となり、雨を降らす。この雨が問題だ。
 はっきり言おう。この雨を浴びた者は、死ぬ。死ぬのは人間だけではない、鳥も魚も、生物はみな死ぬ。食べられるものではなくなる、という意味では、農作物すら死ぬだろう。しかも……重要なのはここだ。『死の雨はここリバーズシティにも降り注ぐ』。
 ありえると思うか? 雨が、人間の身体を遺伝子レベルで破壊するという現象が。私は信じられない。おそらく敵さんにとっても青天の霹靂(へきれき)――いや、寝耳に水な話となるだろう。あらかじめ知っていれば、この都市の近くへそんな爆弾を落とすはずがないからな。リバーズシティは世界的にみても有数の水力発電都市なんだ。敵もこの都市が欲しいはず。

 死の雨を想像だにしていないのは、この国の……あの冴えない暫定的トップも同じだ。この状況で雨を恐れている暇などあるか? 空が落ちてくる心配をする暇が、あるか? ない。そんなことより戦争だ。反撃するんだ。守るために……。

 ノアズアークは深夜零時に、天気予報を元にその日の電気の放出量を決める。
 だからここリバーズシティでは、深夜零時に空の色が変わる。晴れ・曇り・小雨なら【黄色】。大雨なら【オレンジ】。豪雨なら【赤】、といった具合に。
 もっとも、そのノアズアークのおかげで降る雨のほとんどが蒸発するため、我々の身体に触れるのはいつだって小雨なのだが。
 実際に降る雨の量が予想雨量を完全に下回った日など、雨は一滴たりとも我々の元へは届かない。全て上空で蒸発するんだ。
 ……『公認天気予報士による、明日の雨量の過大評価』。今回はそれが、唯一の希望だ……。
 我が母上の見立てによれば、明日の死の雨はノアズアークの【赤】……もしくは最低でも、限りなく赤に近い【オレンジ】の放電量でないと、完全に防ぐことはできない。雨は一日の中でも強く降る時間と弱く降る時間が存在するからな。
 たとえば明日、【オレンジ】のノアズアークを展開した場合、いっときでも『大雨』の域を超える雨量の時間帯が発生すれば、我々の身体に、大地に、川に……死の雨は降り注ぐ。
 むろん我が母上も政府のトップへ――そして公認天気予報士どもにも訴えてはいるようだがね。おそらく、聞き入れられることはないだろう。政府に関しては先にも言った通り。そしてノアズアークの節電こそが唯一無二の使命である予報士が、『明日は局地的に死の雨が降るでしょう』などという母上の言葉に耳を貸すとも思えん。【黄色】と【赤】とでは、消費電力に天と地ほどの差があるからな。
 ……さあ。あと約十五分。深夜零時に設定された放電量こそが、明日一日の放電量だ。一度設定されたら、もう変わりはしない。この都市のエリートたる予報士の威信にかけて、途中で変えたりはしないさ。
 分かったかい? 理由は以上だ。では今一度きみに問おう。私と共に」
 ――深夜零時のノアズアークを見に行かないか。