「ただいま」

「おかえり、千佳」

学校を終えて帰宅すると、父が台所でマグカップを洗っているところに遭遇した。

台所のテーブルの上にふと目をやると、今朝置いてあったお弁当箱が消えている。

「ここにあったお弁当は?まさか捨てちゃったの……?」

「そんなに悲しそうな顔しないの。ほら、悪くならないように冷蔵庫にしまっておいたんだよ」

父が泡だらけの手を水で流して冷蔵庫の扉を開けると、一番下の段に今朝と寸分たがわぬ姿でお弁当が保管されていた。

捨てられていないことに安堵し、その感情に気付いて己の本心を知る。

「千佳、ちょっと座りなさい」

罪の意識を感じて、うつむいていた私に父が声を掛けてくる。

普段は仕事部屋にこもりきりで、存在感の薄い父が面と向かって話をしようと言ったのは初めてのことだった。

促されるようにして畳の上に敷いてある座布団に正座すると、父は緑茶の入った湯呑を私の前にコトリと置いた。

「穂純が千佳に毎日弁当を作るのはどうしてだと思う?」

改めて言われてみれば分からない。

母のお葬式の時にも思ったけれど、どうして兄は弁当にこだわるのだろうか。

かつて通っていた私立校には立派な食堂があったので、お弁当は不要だと伝えると兄は露骨にがっかりしていた。

その後、今の高校を受験することにしたからやっぱりお弁当が必要になったわけだけれども、その時も兄は嬉しそうにえくぼを作っていた。

「……何でだろう?趣味かな?」

「成人男性の趣味にしては可愛いらしいけれど、少し違うかな」

SNS映えする見た目が綺麗なお弁当から、運動部が泣いて喜ぶ男飯、果てはキャラ弁まで。

兄の作るお弁当は実に多彩だ。ここまで極めれば趣味どころか職業にもなりそうだが、決してそうではないらしい。

「千佳は小さかったから覚えていないかもしれないなあ……」

父は懐かしそうに目を細めながら、湯呑のお茶を啜った。

「春から高校生になる穂純のお弁当箱を見た千佳がね、自分も高校生になったら穂純にお弁当を作って欲しいっておねだりしたんだよ」

父は思い出したようにクスクスと小さな笑みを浮かべていた。

「穂純はずっと覚えていたんだろうね」

「本当に……お兄ちゃんはバカなんだから……」

兄のバカさ加減にはつくづく愛想を尽かしてしまう。

一生懸命お弁当を作ったところで、私が覚えてないのなら何の意味もないのに。

毎日、毎日、来る日も来る日もお弁当を作り続けて、本当にバカなんじゃなかろうか。